2008年12月22日月曜日

紙上博物館を見よう「広報ひがしひろしま」連載中のシリーズ紙上博物館 今月の逸品に出会える


期間2008年12月23日(火)から2009年1月11日(日)まで
開館時間 10時~18時まで
休館日 12月29日(月)から1月4日(日)まで
会場:東広島市民ギャラリー 
場所:東広島市西条町御薗宇 フジグラン東広島 2階
入場無料

主な展示資料(期間中一部展示替えをします)
西条町安芸国分寺周辺遺跡出土 陶製桝
西条町西東子遺跡出土 弥生土器(壷)
福富町上竹仁 八手の観音
黒瀬町樋之上八幡神社 天文23年銘絵馬写
河内町二反田古墳出土 装飾付台付壷、子持ち器台
安芸津歴史民族博物館 三浦仙三郎氏使用温度計
豊栄町本宮八幡神社 紙本墨書大般若経(パネル展示)
高屋町西本遺跡出土 毛彫馬具
八本松歴史民族資料館 山陽鉄道建設工事使用の測量器

いずれも、すばらしい逸品ばかりです。
主催:東広島市教育委員会
問い合わせ先 文化課082-420-0977
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展示品のいくつかを解説すると、★西条町安芸国分寺周辺遺跡出土 「陶製桝」というのは、桝というと方形のものを想像するかもしれませんが、どっちかというと計量カップを想像したほうが、正しいと思います。コップ状の素焼き器です。家庭の米びつの中にあるような、カップです。
★安芸津歴史民族博物館 「三浦仙三郎氏使用温度計」は、同時に酒造りのテキストも展示されています。酒造技術は、当時はというより古来より、経験と勘にたよる職人技、神業ともいうべき、技術でありました。それがテキストができ、温度計を使って、もろみの管理を科学的に管理する近代酒造技術の曙とも言うべき展示品です。酒のことについて一過言あるかたは、見逃すべきでない逸品です。
★高屋町西本6号遺跡出土 「毛彫馬具 」というのは、金メッキ製のもので、国内で出土している数も少なく。現在のところ出土地としては、最西端となります。以前シンポジウムが東広島市で開催されました。
そのとき用に金具の復元品も作成されていて、同時展示されています。またこの西本6号遺跡は、「解除(はらえ)」を行った、古代の祭祀遺跡とおもわれる建物群があり、「解除(はらえ)」の文字が墨書された土器が発見され、全国的にも一大発見でした。現在建物群の柱跡は、東広島市史跡として、史跡公園として保存されている。(高屋町、アスカパークという団地内にあります。)
★八本松歴史民族資料館 「山陽鉄道建設工事使用の測量器」 は、あの精米機の「サタケ」の創始者、佐竹利市氏が実際に測量につかったものです。また、明治9年佐竹利市氏(13歳)は、当時村長である木村和平氏より、村の地粗改正のため、田畑の測量を依頼されます。それを2年で終了させています。明治11年、佐竹利市氏(15歳)は、単調な精米作業を機械化したいと考え、木村和平氏に相談に行きます。突拍子もない話とは思いましたが、利市ならやれるとも思いました。(木村和平氏は小島酒造を経営していた(現吟古館))(サタケ資料より抜書き
近代酒造業の恩人とも言われる2人の遺品がここで同時に見られるのは、とても珍しいことです。
ぜひ、一見の価値があります。
★まだまだ、書き足りませんが、ここにて筆をおかせていただきます。mm

2008年12月19日金曜日

干支平成21年は己丑

平成21年の干支といえば、 丑ではなく、
己丑(つちのとうし・きちゅう)ですね。

なんと60年に1回しか回ってこない干支です。 (当たり前ですが)

丑は、本来うし(牛)を意味するものではなく、牛との関連性は100%ありません!じゃあなんでウシなんだ?単に一般庶民が覚えやすいようにということで、動物名を何の関連性もなく当てはめてしまっただけということで、いつの間にか庶民が、関係のない動物のほうばかり気持ちがいってしまい。ウシのように一歩一歩確実に歩むとか、猪突猛進のとか、ばかばかしい話をしたりするわけですね。まさか、みなさんは年賀状に牛(ウシ)なんか書いてないですよね。干支はなにかときかれ、ウシ年の生まれですなんて答えないですよね。
本来は、植物の成長の様子を表わしたものを組み合わしたもので、動物とは縁も無く、動物の丑のほうへ気が向いてしまいがちです。

「己」というのは、筋を通すという意味があります。紀がもとの意味。
また、「丑」の字は、紐のことで絡まる様子を表わし、固い種子の中から芽ぶきを待ち、やがて茂り、実を結ぶ意味があります。

2008年12月15日月曜日

中世山陽道跡~御建遺跡見学会~

〔中世山陽道跡~御建遺跡見学会~〕
平成20年12月14日(日)午後1時半より、JR西条駅北側御建神社参道前・教善寺前の「御建遺跡」の見学会が行われた。今回は戦国時代の中世山陽道と思われる道の跡が発見されたというもの。この地は周囲が安芸国分寺や、秀吉が九州出兵(島津攻め)のため、宿泊した旦過寺(たんがじ)跡もあり、さらに、一直線上には、寺家の上道(じけのうわみち)と呼ばれる、古代山陽道(奈良時代)の推定コースに向かっており、出土した陶器の破片などから、戦国時代の山陽道ではないかと思われる道の跡です。
御建神社の参道前、教善寺の門前に、一号遺跡がある。ここからは、一段深くなっているところが、次の2号遺跡にぴったりとルート的には適合していて、山陽本線線路に向かって道が伸びているように思える。・・・・山陽本線の下に山陽道があるのだろうか?

コンクリートの基礎により、遺跡はあらされているのが、まことに残念。この道の後からは、廃止されてから、陶器の破片など、捨てられ、その陶片から、年代がわかるのである。

ここからは、素焼きの茶釜、古い時代の備前焼(焼きしめ以前の土師器に近いもの)李朝の青磁など出土している。
古伊万里、唐津など、その種類は多彩です。
こういった陶片から想像されることは、
この一帯にはそれなりの結構裕福な人が住んでいたことが想像できる。
近くの〔旦過寺〕には、たぬき和尚の話が伝えられていて、茶釜と狸和尚がなんだか、頭の中でくっついて、文福茶釜を想像してしまいました。
〔中世山陽道跡〕
二つ目の遺跡には、はっきりと中世山陽道の姿が、現れています。
土の黒いところは、田んぼの肥え土で、昭和まで、耕作が続けられていました。田んぼが江戸時代初期から現代まで耕作が続いていたと思うとなんだか、すごい気がします。
2メートル幅の道の両側に排水溝らしき跡も見られ、両脇の地山を掘り込んで道に整備したものと思われる。遺跡の上の黒い土の層は、水田の跡で、これは、現代まで水田として使われています。さらにその上に真砂土が埋められたのは現代の地層です。住宅が造成地に建てられていました。見学にこられた近所の方は、水田があったことは覚えておられました。
〔旦過寺・観音堂〕 現在の様子
旦過寺とは、主要道路沿いに、修行僧が、修行旅の途中に宿泊する施設で、全国に同様の名前があるのは、そのためで、旦とは、元旦の旦で、水平線に上る太陽を現し、朝という意味の字です。過とは、過ぎること、朝には旅立つことを旦過といいます。丘陵地を下ってくる道を、島津家久が四日市に入り白山城が見えると記述しており、たしかにこの道をくだっていくと、左手に低い白山城がみえるので、たしかにここを通ったのだろうと、創造ができるのです。慶長には、四日市の町並みの縄張りがなされた記録から、この道が機能しなくなり、移っていったことが推測されます。さて、古代の12メートル幅の山陽道はどこにあるのか?実は直線性を重視されていたゆえにさらに、その上の下の山ろく上をわずかに切り通し、開通しても崩れたり、けずられたりし、次第に切り通され水平に近くなり痕跡が中世のみちまできり下がり、古代に立てられた神社などが、切りとおしの上に取り残されたり痕跡が延長上には残されていたりします。西条でこういった山陽道の跡が出土することは意義があり、今後の発掘が楽しみです。
旦過寺は、室町末期(戦国)天正15(1587)年、島津との戦いのため九州へ向かっていた豊臣秀吉が3月15日に宿泊したと、記録に残されています。

2008年12月12日金曜日

後ろ向きな二宮金次郎像

フジグラン横の御薗宇保育園の敷地外におかしなものが建っているので車を降りてよく見ると、二宮金次郎の像でした。なんと後ろ向きに建っているではないですか、金次郎像の前は、植木があり、園内から二宮金次郎が見えないようにされています。元は、小学校の敷地で、いろいろな記念碑などそのまま残されています。




右が、市営住宅左が保育園の敷地で二宮金次郎像は、どちらからも邪魔者のように扱われ、敷地の外に・・・・
この金次郎さんやたら、つやがいいので良く見るとなんと陶器の金次郎像です。さらによくみると。






寄贈者と世話人さんの名前が掘り込まれたプレート・・・昭和12年と書かれている。第二次世界大戦のときは、金属は全て供出と効いていましたが、昭和12年ではその必要はなかったのでしょうが、もしかして供出はされたが、陶器の二宮金次郎を変わりにすえたのか?


よくよくみると、伊部窯元とある、窯印もある。
備前焼の二宮金次郎さんだったのです。
よくまあ、壊されたりせずに、立ちつづけています。
よほど地域の方に大事にされたのでしょう。
この金次郎さんの周りは、御薗宇村の中心地で
あったようで、村の主要施設の跡の石碑がいたるところにあります。しかし何れも、撤去移転などされず、取り残されたまま、近寄ることも許されない状態で残されています。




2008年12月11日木曜日

電気の燃料別CO2排出量

家庭で使うエネルギーが、電気に次々と切り替わってきていますが
いったい、電気を発電するのにどのくらいのCO2が発生するのか
調べてみました。
日立のホームページから引用します。
CO2(二酸化炭素)についての基本知識
Q、1kwhを発電するために、CO2は何グラム発生するのですか?
A、CO2排出量は火力、原子力、風力など発電形態によって大きく異なります。また、燃料の種類や発電プラントの特性、発電所の運用方法など、さまざまな条件により異なります。例えば、(財)電力中央研究所(電中研)によると、以下のように発表されています。これは、燃料の採掘から輸送、発電設備などの建設、運用、保守にいたるライフサイクル全体でのエネルギーを対象にしたCO2排出量となっています。

石炭火力発電:975g-CO2/kWh(送電端)
LNG火力発電:608g-CO2/kWh(送電端)
原子力発電:22g-CO2/kWh(送電端)

同じく日立のホームページによると
日本人が、一年間で減らす、CO2は、365kg 約白くま1頭分
オール電化で、IHコンロにすると、年間40kgの削減
エコ給湯器で、約1,622kg削減できるのだとか 白くまでいえば、約5頭分
日立ならではの、面白い表現だ、樹木で表現するなかで、
ちょっとほのぼのする表現だ。
(数値はあくまでも引用値で、想定の条件で計算されたもの)
(HITACHIは、エアコンの白くまくんを販売している)

中世山陽道跡見学会---秀吉の通った道か?

〔中世山陽道跡見学会---秀吉の通った道か?〕
JR西条駅北側の御建遺跡で、中世の山陽道と思われる、道路の遺跡が見つかった。
道路の幅は約2メートル両側に側溝がついている、旦過寺跡もあり、関連も考えられるという。
現在の道より1メートル程、掘り下げたところに、遺跡が出ている。北側は、地山だが、道路から
南側は、何層にも造成して埋めたあとが、地層からよくわかる。
12月14日(日)午後1時半から見学会、
問い合わせ:東広島市文化財センター
090-7541-7735



<<旦過寺(たんがじ)>>西条町西条一の坪に小堂があります。
(御建神社横のグラウンドの西南の墓地に観音堂)
そのお堂一帯が旦過寺の跡と伝えられています。
 昔は禅宗のお寺で、旦過とは「夕べに来て、翌朝行き過ぎる」という意味。
禅宗の行脚僧が、来て一夜の宿を求めたところから出た名だといいます。
旦とは、朝日のこと朝には旅立つということです。
天正15(1587)年3月15日、秀吉が九州へ出兵との戦いの途中、宿泊しました。
1596年間(慶長)に廃寺となりました。江戸時代中ごろまでは小庵その他がありましたが
今では全て消失しています。

2008年11月24日月曜日

ボジョレ・ヌーボー MARUSHOW!


11月19日夕方、まる昭へよるとボジョレーヌーボーが入荷したとのこと、早速試飲。
4種類のボジョレーヌーボーをいれたとかで、早速1杯づつグラスに注ぎ、一つ一つ口に含んでみる。ボジョレーヌーボーらしく、若い香りというか、フルーティーというか、赤らしく渋みまでも若い。日本人は初物が好きであるので、まあいいんじゃないかな。どっちかというと葡萄ジュースを飲んだときの感じに近いですね。もうずっと前になりますが、ボジョレーヌーボーが日本に普及し始めた頃、お付き合いで買った3500円のボトルをうっかり飲み忘れ、押入れにいれたまま、8月になって、整理していたときに発見、丁度、友人の船で無人島へ行くので焼肉の相手に持ってきました。丁度、とげとげしい感じもなくなって、落ち着いたワインになっていました。
本来の熟成とまではいきませんが、結構みんな美味いと言って飲んでくれました。ボジョレー自体、ヌーボーだけで売っているわけではなく、本来は普通のワインとして売っているので、そっちのワインもなかなかうまいと聞くし、今後はもっと普通のボジョレーもいれてくれないかなあ。

東広島初雪


初雪の東広島市西条の朝です。
東広島市では、11月18日に小雪が舞いました。19日朝には、山頂や、屋根瓦の上、田んぼなどに薄っすらと雪が積もっていました。とても風が強く吹き、ピューピューと大きな音をたて、木々の色づいた葉っぱを巻き上げていました。
今年の冬は、このまま寒くなっていくのでしょうか?

2008年11月6日木曜日

いい酒を見つけました。東広島西条 居酒屋 マル昭

 懐かしい、名前が書かれたラベルのある酒と出会いました。実に切れが良く、そして味はどっしりと、香りは控えめで、とてもきれいな酒です。
酒造会社は、村重酒造、岩国の新幹線駅に近いところにある蔵元です。

 いつものように、居酒屋まる昭で、いい酒をいただきました。下岡オーナーが、入荷したので、是非試して欲しいといわれ、長州と書かれたラベルを見て、もしやと思い。裏返すと。杜氏は日下信次(ひのしたしんじ)杜氏(広島杜氏)。名前の懐かしさにちょっと涙が出てきました。なんという巡り会わせか・・・・・・・・。

長州産の五百万石を使い、純米生酒。

精米歩合60%

酵母は、協会8号。

 実に細かいところまでこだわりの逸品です。

 早速テイスティンググラスで香りと色を見てみました。実に磨かれたいい酒ですね。口に含むと、無濾過らしく、ちょっと若さがみられるが、香りは控えめで立ちすぎず、味を邪魔していない。喉を越す感じと、胃の中に納まった感じは実にどっしりとして、さすが5百万石の特徴がよく捕らえられているように思いました。西条で、酒造りの倶楽部で、6年間杜氏を務めてもらっていろいろとチャレンジしてくださって、当時の受講生一同、今でも感謝の気持ちがいっぱいで会うたびに話が出たのは、泊り込みで酒造りの実習をし、寝るのも惜しんで・・・・・・飲んでいたこと(笑)

 西条で行われた新酒鑑評会でよく会うのですが、是非、村重酒造へ伺いたいと思いつつも、まだ実現ができないことが悔やまれます。西条の地で遠く岩国の日下杜氏のことを思い出しながら、仕上がった酒を一献。
居酒屋 MARUSHOW!まる昭 東広島市西条大坪町11番27号 ラルクビル1階 MAP

ハカラメから、根が出ました。

 東広島郷土史研究会のメンバーの方からいただいた、ハカラメの葉から根が出始めました。11月に入って寒くなってきましたが、水盤に水を張って葉と鉢をいれていましたら、葉のギザギザの根元から根が出始めました。やりました!凍傷にかけないように気をつけねば。
現在、玄関の薄暗いところに置いています。

我が家にハカラメがきて、根が出る前

2008年11月2日日曜日

東広島市西条大坪、居酒屋「まる昭(まるしょう、マルショウ、MARUSHOW)」で酒を飲む

どうも寒くなると「まる昭」に足が向いてしまう。なんだかすっかりと寒くなってしまった。提燈に群がる虫の気持ちが、少しだけだが解るような気がする。

看板に、ホルモン、ちぢみ、刺身と書いてあるなあ、ここのホルモンは筆者でも食べられる、女性でも抵抗感はないと思う。お勧め。ビールとちぢみは良く会う。韓国で食べるような酢醤油で食べるのでなく、辛味のたれで食べるのは、酒でちょっとぼやっとしている胃をしっかりと刺激してくれて、実にうまいのだ。これまでオープン以来何度も食べているのだがつい、食べるほうに神経が行ってしまい写真を撮るのを忘れてしまうのだ。

海鮮ちぢみとか実にぷりぷりしてうまい。この店に来たときは、是非食べて欲しい。

今日は、天然鯛があるとの知らせがあり、早速 オーダーをしてみる。このぷりぷりとして、皮がいい感じ。
色がとってもきれいだ、お造りというと、材料屋から仕入れた大根のつまを平気で添える料理人がいるのだが、どうもいやだが、添えられた地元の農家の野菜が実にみずみずしくて、鯛の新鮮さにとてもよくあう。
 よく水槽に入れている魚を新鮮だといってお客に出す料理人もちょっといただけない。
 まる昭では、ちゃんとしめたものを出してくれるので、生臭さも感じられない。
シェフに聞くと、店では入荷した刺身用の魚は、其の日のうちに出す。刺身用が残ろうと次の日にそのまま刺身で出すことは絶対しないといっている。
 
今日は、竹原出身のオーナーにちなんで、藤井酒造の龍勢(りゅうせい)を頼む。
低温囲い生熟成の原酒だ。アルコール度数は、原酒なので17度くらいだ。実にうまい。
文久三年の創業の藤井酒造、平成16年よりついに全量純米のみのつくりにしたようだ、とても勇気のいる決断だったろう。頑張って欲しい。
藤井酒造に経緯を評して、早速いただく。実に味わい深い、こういった原酒があるのはとてもうれしい。
店ではこの酒もある程度、残るようだと飲用には供しないそうだ。実にマル昭潔し。
いくらいい酒でも、ビンの底に残ったものを出されてはあまりにも興ざめだ。
さて、今日は他に何を頼もうか・・・・・・
豚角煮・・・これがいい、もちろん自家製
やはり角煮は、このくらいのブロックで無いとうまくないですね。
そのまま、煮込んだものを出すんじゃなくて、カラッと表面を揚げたものが実に表面が香ばしく、香りでも味でも胃を直撃してくれる。中はとろっとぷるるんって。
ふうふうして食べないと熱々だしね。龍勢も実に飲み合わせ食べ合わせも実にいい。さっぱりじっくりと飲める。






今日の最後の料理は、湯豆腐にした。
外も寒いし・・・・・
得意の石焼鍋で、沸騰させたものがでてきた。いやあこの湯豆腐のしっかりした感触は、実に味も深いし、荷崩れもない。
 まる昭では、酒は焼酎、ワイン、日本酒、果実酒、ビールと、いろいろとあるのだが、筆者は酒どころに相応しく、「酒」である。日本酒などと意味不明の呼び方はしない。日本の国酒たるべく「酒」でいいのである。フランス人がワインをフランス酒というか?ドイツ人が、ビールをドイツ酒とよんでいるのか?日本酒だなんて呼び名絶対可笑しい。
 やっぱり「SAKE」ですね。けして吟醸、大吟醸を進めるばかりでなく、純米原酒のうまさをじっくりと、東広島を訪れた、旅のビジネスマンには、おススメしたいと。実に思う。
席が空いてないと悲しいのでTELで予約や確認をおススメする。
予算は結構リーズナブルだ、学生グループの利用も多い、職場のグループ、安心できる食材で商談に利用するビジネスマンも多いようだ。
DATA
定休日:日曜日
営業時間:17:00-24:00 (ラストオーダー/23:30)
電話番号:082-424-0596
住所:東広島市西条大坪町11番27号 詳しく地図で見る

第30回郷土史展「東広島の板碑と盃状穴」

東広島運動公園体育館で、2008(平成20)年11月1日(土)~3日(日)にあわせて、
東広島郷土史研究会主催の第30回郷土史展 「東広島の板碑と盃状穴」が開催された。
初日の11月1日は、好天にも恵まれ、多くの市民が来場され、日頃何気なく見ていたものが、こういった意味があったのかと驚いた様子でした。中には市外からも興味のある方が多数来場され、東広島郷土史研究会員から熱心に解説を聞かれていた。特に板碑(いたび)は、関東地区が圧倒的に多くそのほとんどを占め、広島県には47基の板碑が現在のところ確認されている。広島県の板碑という研究本をもとに一基一基確認して勉強をする所からはじめ、東広島市内にはその研究本に紹介されている数よりはるかに多く、33基が確認され、そのほとんどが旧東広島市内にあることが確認された。なぜ東広島市に多いのかその理由はわからない。これからの研究を待ちたい。確認されたものの中から、履かをピックアップし、写真を展示している。また実物の板碑と盃状穴のある手洗い石をお借りし展示している。なかなかこういった場所で、展示され間近に触れて見られるのは、例をみないだろう。


この日は東広島市自然研究会の沖村雄二先生もみえられ、素材の石を詳しく観察され、正確な材質を捕捉してくださって、解説文を修正したりといったこともあった。専門家が間近にいていただき、とてもありがたい初日スタートであった。素晴らしい写真を撮影した、船越雄二理事も来場された方々に板碑や盃状穴の状況を説明、この日のために調査後も何度とも現地を訪れ、状況がよくわかる時間を狙い、ベストな写真を撮影するという努力の結果が、今日の展示写真となっている。

実物の板碑は、八本松町正力にあったものを郷土資料館に保管してあったものをお借りした。ライトアップして、その凹凸を浮かび上がらせ観察がしやすいように展示をされていた。



彫られているのは、蓮華の上にある凡字(ぼんじ)で、これを種子(しゅじと読みます)といい、凡字は仏そのものを表します。板碑により、仏そのものを彫ったり、南無阿弥陀仏と彫られていたり、何れも仏の供養のために作られています。
沖村先生の鑑定によると、花崗班岩というものらしい。花崗岩ではない。やはり生成の過程でちがうようだ。


盃状穴(はいじょうけつ)は、女性を意味し豊饒を祈願したり、子供が授かるよう祈願し穿たれたりしたもののようです。
西欧では、カップマークとよばれ、そのまま日本語訳し、盃状穴といわれるようになったようです。その歴史は先史時代にまでさかのぼります。この展示されている手洗い石に彫られた盃状穴はどんな人がどのような思いもこめて彫っていったのでしょうか、なぜかこういった手洗い石の縁に酒盃状の凹みを穿ったのか?
とても多いんです。理由はいったいなんだったのか?





くれぐれも、言っておきますが、現代において、神社仏閣の建物やこういった手洗いの石などに穴を穿つ、傷つけるといった行為は、器物破損といった犯罪に該当するので、厳に謹んでいただきたい。





2008年10月30日木曜日

MARUSHOW! (まる昭)居酒屋 東広島市西条大坪

西条町大坪の居酒屋「MARUSHOW! (まる昭)」 へ行ってきました。
店の場所は、デオデオのある丸小山交差点のところに総合家具と、レンタルビデオの銀河の入っているビルの裏手にあるビルの一階にある。R375沿いのビル、1階の中ほどにある。
大きな白い堤燈がぶらさがっている。壁には大きくまる昭のロゴが・・・・
オーナーが竹原の出身とかで、新鮮な魚介類がはいってくる。義理の兄弟が熊本で肉屋をやっているとかで、安心できる宮崎牛がおいてあることは、とても嬉しい。品質管理と安全管理には、特に神経質と言われるほどこだわりをもっている。
野菜は、毎朝地元の農家からのとり立ての新鮮な野菜をふんだんに使っているのはとても嬉しい。
魚の造りにしても、単純に大根のつまを添えるのではなく、玉ねぎであるとかいろんな新鮮野菜を添えてくれるのは、とても嬉しい、野菜の嫌いなお父さんや出張で、西条に来ているビジネスマンには、尚更嬉しい、気使いではないだろうか?
これは当然なのだが、まな板と包丁は、肉・魚・野菜と使い分けもちゃんとやっている。
とてもいいと思うのは、こだわった地酒を揃えていることだろう。だからその地酒、殊のほか原酒や無濾過の酒を置いていること、東広島市西条だけでなく、竹原や広島県内、近県のいい酒を置いている。大吟醸、吟醸といった別け方だけでなく、味わいの深い純米原酒だとか、酒米も山田錦に拘らず、五百万石であったり、千本錦であったり。この日は、写真でわかるように、瑞冠を飲んでみた。純米酒生元仕込(元は本当は酉と元の合わさったもの、ラベル参照)、実に味わい深かった、また別の日に、瑞冠の中手新本千本の吟醸の生原酒を味わうことが出来た。新千本といえば、この西条・東広島では、飯米でよし酒米・掛米でよしと、オールマイティーな酒だか、いつしか粘り気の多い米がいいなどとわけのわからない常識が蔓延り、中手新千本も作られなくなったが、小粒の米を吟醸レベル迄磨きこむとは、なかなかのもので、実にこれはまさに吟醸であると解からせるに申し分の無い、実にすっきりとし味わいのある酒だと感じた。いつもあるわけでない、何れも少量限定酒ばかりを主に置いているので、毎回新鮮な発見を出来て実に嬉しい。今はハーフでの楽しみ方もできるようになり、リーズナブルに多様な酒を楽しめるようにオーナーが配慮してくれて、とてもありがたい。
この料理は、カワハギを肝であえて、冥加と玉ねぎが添えてある。
実にさっぱりとして、爽やかな味わいで尚且つ口に入れたときは、肝の味わい
が実に深い。

この日二番目に味わったのが、石鍋に秋ナスと春菊添えで、おろしでさっぱりと味わい且つ、出されたときには、アツアツの石鍋の中のスープがグツグツと沸騰した状態で出されると、これからのシーズンは、もう食べてホクホク、スープも楽しめて実に身も心も暖かくなる料理だった。


この店で、チヂミがとてもお勧め、石焼ビビンバならぬ、石焼洋風茶づけとか、いろいろ楽しめる。チヂミは人気メニューだ、ご飯類は十穀米を炊いていて、とてもうまい。料理店で、料理は詳しいが、酒のことはわからず出す店も多いのは事実、プロならすべて出すものにきちんとした知識はほしい。その点、下岡オーナーは実にこだわり、酒のほか焼酎、ワインなどもこだわりの逸品を揃えている。近くにマンションが多いせいかファミリーのお得意様も多いようです。またホテルもあり、出張ビジネスマンには是非立ち寄りたい店の一つであることには間違いない。安心できるおすすめのみせだ。是非、電話で予約を入れたほうが確実だし、空席状況を確かめたほうがいい。

DATA
東広島市西条大坪町11番27号
TEL: 082-424-0596 
営業時間:17:00-24:00 ラストオーダーは23:30
定休日は日曜日。
カウンター席は、5席 完全個室の座敷1室
あと12人ほど座れるオープンの座敷がある。
団体の予約もOK。
連絡問合せ:下岡直哉オーナーシェフへ、082-424-0596
料理だけでも楽しめるので、飲まないのであれば車でもOK
店の前に3台スペースがあるが。飲酒運転は絶対ダメだ!
因みに、駐車場は、他にも利用できるところもある、オーナーに聞いて欲しい。(飲酒運転は駄目!)

東広島市西条大坪 居酒屋 MARUSHOW!まる昭(まるしょう・マルショウ)詳しいMAP←ここです。

ちなみに、店名の表記は「MARUSHOW!」が、正式で、日本語表記では「まる昭」が、ただしいのだそうだ。







筆者:まる昭ファン

東広島市豊栄町安宿(アスカ)の八幡神社の巨樹

2008年10月17日に、東広島郷土史研究会の巨樹・植物研究グループの観察会がありました。
毎月第三金曜日に東広島市中央公民館のロビーで待ち合わせ、乗り合いで観察地に向かいます。
この日は、豊栄町の安宿(アスカ)にある八幡神社が観察地ということで、境内にはモミ(樅)の巨樹が
あるということで、いざ目的地に向かいます。

ありました。すばらしい、大きなモミですね。早速メンバーが胸高(地上より1.3m)の周長をはかりますと、なんと3mをゆうにこえています。堂々巨樹の仲間入りですね。
神社のいわれと、社叢にある植物についても書かれています。なになに?「樅が豊栄町の巨木に指定されている」・・なるほど、そうだね、すばらしいです。葉っぱもみると、なるほど、なるほどクリスマスツリーの木の葉っぱですねえ・・・・?あれ?これってモミ(樅)?葉っぱの先が割れていないよ?
先が、一つになってとがっていますよ?会員さんの1人が気がつきました。
ちゃんと、案内板には、樅の巨木と書いてあるのに?堀越先生が早速図鑑での確認を指示、図鑑によると、先割れの葉っぱは、1位(イチイ)またの名をシャクノキ(勺の木)じゃないかな?
蘭(アララギ)ともいいます。イチイの名前は、仁徳天皇がこの木でしゃくをつくらせ、それで正一位を授けたので「一位」と呼ばれる ことになったといわれています。また、飛騨の位山(くらいやま)にあるこの木で作り、 朝廷から官位の「一位」を賜ったことから 「一位」の名になったとも。
これは、先割れじゃないから「イチイ」ですね。

ちなみに、伽羅木(キャラボク)は一位の変種です。いろいろとあるいていると新事実にぶつかりますね。

豊栄町の巨木の指定が、モミでなくイチイだったという発見でした。

2008年10月29日水曜日

第30回郷土史展『東広島の板碑と盃状穴』第18回東広島市生涯学習フェスティバル内

第30回郷土史展『東広島の板碑と盃状穴』
第18回東広島市生涯学習フェスティバル内 チラシpdf

[ところ] 東広島運動公園体育館メインアリーナ
      (東広島市西条町田口67−1‎)
[日 時] 平成20年11月1日(土)
             10:00~16:00


             11月2日(日)
              9:30~15:30

[内容・みどころ]東広島市内に所在する板碑と盃状穴を写真や、実物の展示をし解説する。

[料 金] 入場料無料


[アクセス]JR山陽本線「西条」駅から、バスで約15分。


       無料送迎バスあり(東広島市役所本館⇔アクアパーク体育館)
      アクセスMAP

[駐車場] あり(無料)


[問合先] 082-422-2293 東広島郷土史研究会 事務局長 栗本哲雄方




★板碑(いたび)とは、13世紀頃から造立された仏を供養するための石塔です。(墓では、ありません。)
    広島県内に所在する板碑は47基とされ、その分布は、
    東広島市:33基、三原市:4基、尾道市:7基、その他:3基とされています。
    なぜ、東広島市に集中しているのか明確ではありません。新たな発見に
    努めるとともに、既存の板碑を文化財として大切に護りましょう。

★盃状穴(はいじょうけつ)は、英語名『カップマーク』を日本語訳した言葉です。 
    カップマークは、ヨーロッパなどの先史時代の遺跡で見られる円形の絵模様や小穴群のことで、
    これらは女性を表わし、豊饒や死者再生を、祈願するためのものでした。
    このカップマーク文化は、縄文時代にはフィンランド、シベリア、中国、朝鮮半島を経由して九州
   に上陸したと考えられています。 盃状穴は原始・縄文時代においては女性のシンボルとして豊饒
   や死者再生を願う原始宗教儀式を目的とし、洞窟の壁画などに見られ、弥生~平安時代には同
   じ目的ながら日本式宗教儀式に発展し、盤坐、石棺の蓋建築物の礎石などに見られます。
   盃状穴は鎌倉~江戸前期には女性との関連はうすくなり、個人や集団の種々の祈願、土俗的信
   仰儀式を目的として、東大寺等の有名寺社の石段等に見られます。 江戸中期以降は庶民の社
   寺参拝が急激に増え、個人の祈願、迷信の信仰から、村の社寺境内の石造物(手水鉢、灯籠等)
   に直径は5cm、深さは、3cm程度の盃状穴を穿ちました。今日我々が目にする盃状穴は殆どが
   この時代のものです。明治・大正時代には衰退しました。
  会場には、解説板や、写真、さらに、実物の板碑や、盃状穴のある石造物をお借りして、会場内に 
設置いたします。なかなか実物が展示されることもありませんので、興味のある方には必見です。

小笠原より「ハカラメ」をいただきました。

「ハカラメ」

先日、東広島郷土史研究会の巨樹観察グループの定例観察会で、会員の方から、東京都小笠原村から採集してきた、「ハカラメ」という植物をいただきました。「葉から芽」がでるので、ハカラメだとか。
葉っぱのギザギザ部分の切れ目から芽と根が出てくるそうです。
数年に一度、硫黄島へ、遺骨収集にいかれるのだとか、東京から小笠原まで船で24時間、さらに硫黄島までは、7時間かかるとのことで、父島で自生しているハカラメの葉を持ち帰ったのだそうです。硫黄島へ、動植物を持ち込んだり持ち帰ったりということは禁じられており、せめて少しでも近い父島からということなのでしょう。ハカラメの正式名は、セイロンベンケイソウ・セイヨウベンケイソウ、マザーリーフなどといいます。
原産地はアフリカで、科属名:ベンケイソウ科 ブリオフィルム属です。
小笠原諸島では、全般的に見られる植物だそうです。沖縄にも自生しているようです。
葉っぱを園芸用の土においておくだけでも、壁につるしておくだけでも、芽がでてくるたくましい植物です。大きく育てると、花が咲くようで楽しみです。沢山いただいたので、近所の方にお分けしました。
東広島は冬は寒いので、ビニール囲いで凍傷にかからないようにしてやらないといけませんね。
身近な方に早速お分けしました。葉っぱと、芽が出たものと両方もらっていただきました。うまく芽が出たらいいですね、季節がちょっとあわないのが心配です。

2008年10月28日火曜日

赤ヘル生みの親、ジョー・ルーツ元カープ監督死去




カープの初優勝の礎を築いた、ジョー・ルーツ氏が亡くなった。

米国フロリダ州サラソタ、10月20日、83歳。脳卒中や糖尿病で体調が優れなかったという。
写真は中国新聞より
腕を後ろでに組んで抗議するスタイルは、大リーグ式。
広島カープの紺の帽子から、真紅の帽子・ヘルメットに変わったときは、まさに衝撃だった。これもジョー・ルーツ氏のアイデアだった。

彼が、以前メジャーリーグでコーチをつとめていた時のクリーブランド・インディアンスのスタイルを参考にしたものだ。情熱の赤に変えることから、根本的な変革を選手に求め、もしかすると、ファンにも変革を求めたのかもしれない。
1974年コーチに就任され翌年、1975(昭和50)年監督に就任。まさに期待の監督だった。
試合で審判団も試合で弱かった広島を甘く見て、甘いジャッジをしていたとジョー・ルーツは考えた、とことん抗議し、納得できないジャッジには、試合さえ放棄するというような姿勢まで見せ、審判団が当時重松球団代表に説得を依頼、グラウンドの土を踏んだ重松代表を見て、グラウンドの全権は監督にあると考える、ジョー・ルーツ氏は、信頼を疑う。熱い人だった。
その後、コーチだった古葉竹識氏が監督に昇格し、その日、日本を離れた。
そしてその年、カープは悲願の初優勝を遂げる。

勝て勝てカープ♪

1.空の青さに生き生きと    跳ねて暴れる鯉のぼり    あれがカープのファイトだよ    緑輝くグランドに    今日も気を吐く好ゲーム   ☆いつでも若くたくましく    燃える赤ヘルぼくらのカープ  
2.西に東に赤ヘルは    いつも人気の嵐呼ぶ    敵に投げ勝てどこまでも    敵に打ち勝て最後まで    ここが男のみせどころ    (☆繰り返し)
  
3.でかい巨人をねじ伏せて    次は得意の虎退治    打って走って攻め抜けば    竜も鯨も歯が立たぬ    燕飲みとれ鯉のぼり    (☆繰り返し)  
4.熱と力を盛り上げて    天を揺るがす応援歌    今日のゲームを勝ちとって    郷土湧かせる栄冠を    一路カープはまっしぐら    (☆繰り返し)    ぼくらのカープ
ありがとう、ジョー・ルーツ監督。

2008年10月27日月曜日

不経一事 不長一智(一事を経ざれば、一智に長ぜず )

たまたま深夜NHKTVで、「カンゴロンゴ」という番組をやっていまして、その中で中国の俗諺で、不経一事 不長一智(一事を経ざれば、一智に長ぜず )というのを紹介していました。

何事も自分で体験してはじめてそのことを知ることができる。
何事も経験が大事。紅楼夢鏡花縁などに書かれています。
よく、資格馬鹿ということをいわれます。いくら学んで資格をとっても
その資格を活かせなかったり、実地でその知識を使えないとか

社会で新人となり、学校の勉強だけでは役に立たないことが
痛感されるようになる。職業について、体験を通してこそ
初めて本当の知識といえるだろう。

2008年10月23日木曜日

第29回「郷土史展」西條・四日市 報告

石井家文書、『俳諧集』裏に『鶴亭蔵書』とあり、野坂完山の所蔵であったようだ
野坂完山は医師でもあったが、俳諧にも精通し、石井家(小倉屋)で俳諧興行を行っている。


テーマ、『古文書・絵図でみる 西條・四日市宿』
期間:平成20年9月30日(火)~10月5日
午前9時~午後6時
開催場所;東広島市中央公民館1階ロビー
『西條・四日市宿』竹内文書の写しを実際の写真や絵などを交え紹介した。

下は、小倉屋こと、東広島市重要文化財『旧石井家住宅』の鬼瓦、裏に作成年のへら書きがある。
展示品:教善寺文書・竹内文書・鶴亭日記・湯川家文書・逸見家文書・石井家文書・徳光家文書 絵図:『四日市町並絵図』(竹内家文書)写し、『中国行程記』、 本陣関札 ・旧石井家鬼瓦など、多くの関係筋から貴重な実物や写しなどをお借りしたり 写しを作成したりなど1ヵ月以上にわたり、準備を進めてきた。 本陣関札 は、実際に江戸時代、本陣にかけられた宿泊した大名の名前が書かれている『薩摩宰相宿』『松平肥前守宿』『長門中将宿』など太く墨書きされている、これらの関札(せきふだ)は、用が済めば削られて次の宿泊する大名の名前が書かれる、この板を良く見ると、どのようにしてかけられていたのか良くわかる痕跡がはっきりと見て取れる、今もこういったものが残されていると思うとなんだかゾクゾクする。
この開催期間でのべ400人程度の来場者があった。 60%以上の来場者が60歳以上という内容で、日頃目に触れない貴重な実物の展示を見て、『こういったものがとっても好きなんです』という40代の女性もあった。
やはりこういった展示会でも出会えることができる人は、出会えるべくして出会えたというべきかも知れない。西條だの四日市だの商売に名前を使ってはいるが、本当にその名前の持つ歴史やいわれなど表面しか知らない人も多いのではないか?