2008年10月30日木曜日

MARUSHOW! (まる昭)居酒屋 東広島市西条大坪

西条町大坪の居酒屋「MARUSHOW! (まる昭)」 へ行ってきました。
店の場所は、デオデオのある丸小山交差点のところに総合家具と、レンタルビデオの銀河の入っているビルの裏手にあるビルの一階にある。R375沿いのビル、1階の中ほどにある。
大きな白い堤燈がぶらさがっている。壁には大きくまる昭のロゴが・・・・
オーナーが竹原の出身とかで、新鮮な魚介類がはいってくる。義理の兄弟が熊本で肉屋をやっているとかで、安心できる宮崎牛がおいてあることは、とても嬉しい。品質管理と安全管理には、特に神経質と言われるほどこだわりをもっている。
野菜は、毎朝地元の農家からのとり立ての新鮮な野菜をふんだんに使っているのはとても嬉しい。
魚の造りにしても、単純に大根のつまを添えるのではなく、玉ねぎであるとかいろんな新鮮野菜を添えてくれるのは、とても嬉しい、野菜の嫌いなお父さんや出張で、西条に来ているビジネスマンには、尚更嬉しい、気使いではないだろうか?
これは当然なのだが、まな板と包丁は、肉・魚・野菜と使い分けもちゃんとやっている。
とてもいいと思うのは、こだわった地酒を揃えていることだろう。だからその地酒、殊のほか原酒や無濾過の酒を置いていること、東広島市西条だけでなく、竹原や広島県内、近県のいい酒を置いている。大吟醸、吟醸といった別け方だけでなく、味わいの深い純米原酒だとか、酒米も山田錦に拘らず、五百万石であったり、千本錦であったり。この日は、写真でわかるように、瑞冠を飲んでみた。純米酒生元仕込(元は本当は酉と元の合わさったもの、ラベル参照)、実に味わい深かった、また別の日に、瑞冠の中手新本千本の吟醸の生原酒を味わうことが出来た。新千本といえば、この西条・東広島では、飯米でよし酒米・掛米でよしと、オールマイティーな酒だか、いつしか粘り気の多い米がいいなどとわけのわからない常識が蔓延り、中手新千本も作られなくなったが、小粒の米を吟醸レベル迄磨きこむとは、なかなかのもので、実にこれはまさに吟醸であると解からせるに申し分の無い、実にすっきりとし味わいのある酒だと感じた。いつもあるわけでない、何れも少量限定酒ばかりを主に置いているので、毎回新鮮な発見を出来て実に嬉しい。今はハーフでの楽しみ方もできるようになり、リーズナブルに多様な酒を楽しめるようにオーナーが配慮してくれて、とてもありがたい。
この料理は、カワハギを肝であえて、冥加と玉ねぎが添えてある。
実にさっぱりとして、爽やかな味わいで尚且つ口に入れたときは、肝の味わい
が実に深い。

この日二番目に味わったのが、石鍋に秋ナスと春菊添えで、おろしでさっぱりと味わい且つ、出されたときには、アツアツの石鍋の中のスープがグツグツと沸騰した状態で出されると、これからのシーズンは、もう食べてホクホク、スープも楽しめて実に身も心も暖かくなる料理だった。


この店で、チヂミがとてもお勧め、石焼ビビンバならぬ、石焼洋風茶づけとか、いろいろ楽しめる。チヂミは人気メニューだ、ご飯類は十穀米を炊いていて、とてもうまい。料理店で、料理は詳しいが、酒のことはわからず出す店も多いのは事実、プロならすべて出すものにきちんとした知識はほしい。その点、下岡オーナーは実にこだわり、酒のほか焼酎、ワインなどもこだわりの逸品を揃えている。近くにマンションが多いせいかファミリーのお得意様も多いようです。またホテルもあり、出張ビジネスマンには是非立ち寄りたい店の一つであることには間違いない。安心できるおすすめのみせだ。是非、電話で予約を入れたほうが確実だし、空席状況を確かめたほうがいい。

DATA
東広島市西条大坪町11番27号
TEL: 082-424-0596 
営業時間:17:00-24:00 ラストオーダーは23:30
定休日は日曜日。
カウンター席は、5席 完全個室の座敷1室
あと12人ほど座れるオープンの座敷がある。
団体の予約もOK。
連絡問合せ:下岡直哉オーナーシェフへ、082-424-0596
料理だけでも楽しめるので、飲まないのであれば車でもOK
店の前に3台スペースがあるが。飲酒運転は絶対ダメだ!
因みに、駐車場は、他にも利用できるところもある、オーナーに聞いて欲しい。(飲酒運転は駄目!)

東広島市西条大坪 居酒屋 MARUSHOW!まる昭(まるしょう・マルショウ)詳しいMAP←ここです。

ちなみに、店名の表記は「MARUSHOW!」が、正式で、日本語表記では「まる昭」が、ただしいのだそうだ。







筆者:まる昭ファン

東広島市豊栄町安宿(アスカ)の八幡神社の巨樹

2008年10月17日に、東広島郷土史研究会の巨樹・植物研究グループの観察会がありました。
毎月第三金曜日に東広島市中央公民館のロビーで待ち合わせ、乗り合いで観察地に向かいます。
この日は、豊栄町の安宿(アスカ)にある八幡神社が観察地ということで、境内にはモミ(樅)の巨樹が
あるということで、いざ目的地に向かいます。

ありました。すばらしい、大きなモミですね。早速メンバーが胸高(地上より1.3m)の周長をはかりますと、なんと3mをゆうにこえています。堂々巨樹の仲間入りですね。
神社のいわれと、社叢にある植物についても書かれています。なになに?「樅が豊栄町の巨木に指定されている」・・なるほど、そうだね、すばらしいです。葉っぱもみると、なるほど、なるほどクリスマスツリーの木の葉っぱですねえ・・・・?あれ?これってモミ(樅)?葉っぱの先が割れていないよ?
先が、一つになってとがっていますよ?会員さんの1人が気がつきました。
ちゃんと、案内板には、樅の巨木と書いてあるのに?堀越先生が早速図鑑での確認を指示、図鑑によると、先割れの葉っぱは、1位(イチイ)またの名をシャクノキ(勺の木)じゃないかな?
蘭(アララギ)ともいいます。イチイの名前は、仁徳天皇がこの木でしゃくをつくらせ、それで正一位を授けたので「一位」と呼ばれる ことになったといわれています。また、飛騨の位山(くらいやま)にあるこの木で作り、 朝廷から官位の「一位」を賜ったことから 「一位」の名になったとも。
これは、先割れじゃないから「イチイ」ですね。

ちなみに、伽羅木(キャラボク)は一位の変種です。いろいろとあるいていると新事実にぶつかりますね。

豊栄町の巨木の指定が、モミでなくイチイだったという発見でした。

2008年10月29日水曜日

第30回郷土史展『東広島の板碑と盃状穴』第18回東広島市生涯学習フェスティバル内

第30回郷土史展『東広島の板碑と盃状穴』
第18回東広島市生涯学習フェスティバル内 チラシpdf

[ところ] 東広島運動公園体育館メインアリーナ
      (東広島市西条町田口67−1‎)
[日 時] 平成20年11月1日(土)
             10:00~16:00


             11月2日(日)
              9:30~15:30

[内容・みどころ]東広島市内に所在する板碑と盃状穴を写真や、実物の展示をし解説する。

[料 金] 入場料無料


[アクセス]JR山陽本線「西条」駅から、バスで約15分。


       無料送迎バスあり(東広島市役所本館⇔アクアパーク体育館)
      アクセスMAP

[駐車場] あり(無料)


[問合先] 082-422-2293 東広島郷土史研究会 事務局長 栗本哲雄方




★板碑(いたび)とは、13世紀頃から造立された仏を供養するための石塔です。(墓では、ありません。)
    広島県内に所在する板碑は47基とされ、その分布は、
    東広島市:33基、三原市:4基、尾道市:7基、その他:3基とされています。
    なぜ、東広島市に集中しているのか明確ではありません。新たな発見に
    努めるとともに、既存の板碑を文化財として大切に護りましょう。

★盃状穴(はいじょうけつ)は、英語名『カップマーク』を日本語訳した言葉です。 
    カップマークは、ヨーロッパなどの先史時代の遺跡で見られる円形の絵模様や小穴群のことで、
    これらは女性を表わし、豊饒や死者再生を、祈願するためのものでした。
    このカップマーク文化は、縄文時代にはフィンランド、シベリア、中国、朝鮮半島を経由して九州
   に上陸したと考えられています。 盃状穴は原始・縄文時代においては女性のシンボルとして豊饒
   や死者再生を願う原始宗教儀式を目的とし、洞窟の壁画などに見られ、弥生~平安時代には同
   じ目的ながら日本式宗教儀式に発展し、盤坐、石棺の蓋建築物の礎石などに見られます。
   盃状穴は鎌倉~江戸前期には女性との関連はうすくなり、個人や集団の種々の祈願、土俗的信
   仰儀式を目的として、東大寺等の有名寺社の石段等に見られます。 江戸中期以降は庶民の社
   寺参拝が急激に増え、個人の祈願、迷信の信仰から、村の社寺境内の石造物(手水鉢、灯籠等)
   に直径は5cm、深さは、3cm程度の盃状穴を穿ちました。今日我々が目にする盃状穴は殆どが
   この時代のものです。明治・大正時代には衰退しました。
  会場には、解説板や、写真、さらに、実物の板碑や、盃状穴のある石造物をお借りして、会場内に 
設置いたします。なかなか実物が展示されることもありませんので、興味のある方には必見です。

小笠原より「ハカラメ」をいただきました。

「ハカラメ」

先日、東広島郷土史研究会の巨樹観察グループの定例観察会で、会員の方から、東京都小笠原村から採集してきた、「ハカラメ」という植物をいただきました。「葉から芽」がでるので、ハカラメだとか。
葉っぱのギザギザ部分の切れ目から芽と根が出てくるそうです。
数年に一度、硫黄島へ、遺骨収集にいかれるのだとか、東京から小笠原まで船で24時間、さらに硫黄島までは、7時間かかるとのことで、父島で自生しているハカラメの葉を持ち帰ったのだそうです。硫黄島へ、動植物を持ち込んだり持ち帰ったりということは禁じられており、せめて少しでも近い父島からということなのでしょう。ハカラメの正式名は、セイロンベンケイソウ・セイヨウベンケイソウ、マザーリーフなどといいます。
原産地はアフリカで、科属名:ベンケイソウ科 ブリオフィルム属です。
小笠原諸島では、全般的に見られる植物だそうです。沖縄にも自生しているようです。
葉っぱを園芸用の土においておくだけでも、壁につるしておくだけでも、芽がでてくるたくましい植物です。大きく育てると、花が咲くようで楽しみです。沢山いただいたので、近所の方にお分けしました。
東広島は冬は寒いので、ビニール囲いで凍傷にかからないようにしてやらないといけませんね。
身近な方に早速お分けしました。葉っぱと、芽が出たものと両方もらっていただきました。うまく芽が出たらいいですね、季節がちょっとあわないのが心配です。

2008年10月28日火曜日

赤ヘル生みの親、ジョー・ルーツ元カープ監督死去




カープの初優勝の礎を築いた、ジョー・ルーツ氏が亡くなった。

米国フロリダ州サラソタ、10月20日、83歳。脳卒中や糖尿病で体調が優れなかったという。
写真は中国新聞より
腕を後ろでに組んで抗議するスタイルは、大リーグ式。
広島カープの紺の帽子から、真紅の帽子・ヘルメットに変わったときは、まさに衝撃だった。これもジョー・ルーツ氏のアイデアだった。

彼が、以前メジャーリーグでコーチをつとめていた時のクリーブランド・インディアンスのスタイルを参考にしたものだ。情熱の赤に変えることから、根本的な変革を選手に求め、もしかすると、ファンにも変革を求めたのかもしれない。
1974年コーチに就任され翌年、1975(昭和50)年監督に就任。まさに期待の監督だった。
試合で審判団も試合で弱かった広島を甘く見て、甘いジャッジをしていたとジョー・ルーツは考えた、とことん抗議し、納得できないジャッジには、試合さえ放棄するというような姿勢まで見せ、審判団が当時重松球団代表に説得を依頼、グラウンドの土を踏んだ重松代表を見て、グラウンドの全権は監督にあると考える、ジョー・ルーツ氏は、信頼を疑う。熱い人だった。
その後、コーチだった古葉竹識氏が監督に昇格し、その日、日本を離れた。
そしてその年、カープは悲願の初優勝を遂げる。

勝て勝てカープ♪

1.空の青さに生き生きと    跳ねて暴れる鯉のぼり    あれがカープのファイトだよ    緑輝くグランドに    今日も気を吐く好ゲーム   ☆いつでも若くたくましく    燃える赤ヘルぼくらのカープ  
2.西に東に赤ヘルは    いつも人気の嵐呼ぶ    敵に投げ勝てどこまでも    敵に打ち勝て最後まで    ここが男のみせどころ    (☆繰り返し)
  
3.でかい巨人をねじ伏せて    次は得意の虎退治    打って走って攻め抜けば    竜も鯨も歯が立たぬ    燕飲みとれ鯉のぼり    (☆繰り返し)  
4.熱と力を盛り上げて    天を揺るがす応援歌    今日のゲームを勝ちとって    郷土湧かせる栄冠を    一路カープはまっしぐら    (☆繰り返し)    ぼくらのカープ
ありがとう、ジョー・ルーツ監督。

2008年10月27日月曜日

不経一事 不長一智(一事を経ざれば、一智に長ぜず )

たまたま深夜NHKTVで、「カンゴロンゴ」という番組をやっていまして、その中で中国の俗諺で、不経一事 不長一智(一事を経ざれば、一智に長ぜず )というのを紹介していました。

何事も自分で体験してはじめてそのことを知ることができる。
何事も経験が大事。紅楼夢鏡花縁などに書かれています。
よく、資格馬鹿ということをいわれます。いくら学んで資格をとっても
その資格を活かせなかったり、実地でその知識を使えないとか

社会で新人となり、学校の勉強だけでは役に立たないことが
痛感されるようになる。職業について、体験を通してこそ
初めて本当の知識といえるだろう。

2008年10月23日木曜日

第29回「郷土史展」西條・四日市 報告

石井家文書、『俳諧集』裏に『鶴亭蔵書』とあり、野坂完山の所蔵であったようだ
野坂完山は医師でもあったが、俳諧にも精通し、石井家(小倉屋)で俳諧興行を行っている。


テーマ、『古文書・絵図でみる 西條・四日市宿』
期間:平成20年9月30日(火)~10月5日
午前9時~午後6時
開催場所;東広島市中央公民館1階ロビー
『西條・四日市宿』竹内文書の写しを実際の写真や絵などを交え紹介した。

下は、小倉屋こと、東広島市重要文化財『旧石井家住宅』の鬼瓦、裏に作成年のへら書きがある。
展示品:教善寺文書・竹内文書・鶴亭日記・湯川家文書・逸見家文書・石井家文書・徳光家文書 絵図:『四日市町並絵図』(竹内家文書)写し、『中国行程記』、 本陣関札 ・旧石井家鬼瓦など、多くの関係筋から貴重な実物や写しなどをお借りしたり 写しを作成したりなど1ヵ月以上にわたり、準備を進めてきた。 本陣関札 は、実際に江戸時代、本陣にかけられた宿泊した大名の名前が書かれている『薩摩宰相宿』『松平肥前守宿』『長門中将宿』など太く墨書きされている、これらの関札(せきふだ)は、用が済めば削られて次の宿泊する大名の名前が書かれる、この板を良く見ると、どのようにしてかけられていたのか良くわかる痕跡がはっきりと見て取れる、今もこういったものが残されていると思うとなんだかゾクゾクする。
この開催期間でのべ400人程度の来場者があった。 60%以上の来場者が60歳以上という内容で、日頃目に触れない貴重な実物の展示を見て、『こういったものがとっても好きなんです』という40代の女性もあった。
やはりこういった展示会でも出会えることができる人は、出会えるべくして出会えたというべきかも知れない。西條だの四日市だの商売に名前を使ってはいるが、本当にその名前の持つ歴史やいわれなど表面しか知らない人も多いのではないか?