2008年10月29日水曜日

第30回郷土史展『東広島の板碑と盃状穴』第18回東広島市生涯学習フェスティバル内

第30回郷土史展『東広島の板碑と盃状穴』
第18回東広島市生涯学習フェスティバル内 チラシpdf

[ところ] 東広島運動公園体育館メインアリーナ
      (東広島市西条町田口67−1‎)
[日 時] 平成20年11月1日(土)
             10:00~16:00


             11月2日(日)
              9:30~15:30

[内容・みどころ]東広島市内に所在する板碑と盃状穴を写真や、実物の展示をし解説する。

[料 金] 入場料無料


[アクセス]JR山陽本線「西条」駅から、バスで約15分。


       無料送迎バスあり(東広島市役所本館⇔アクアパーク体育館)
      アクセスMAP

[駐車場] あり(無料)


[問合先] 082-422-2293 東広島郷土史研究会 事務局長 栗本哲雄方




★板碑(いたび)とは、13世紀頃から造立された仏を供養するための石塔です。(墓では、ありません。)
    広島県内に所在する板碑は47基とされ、その分布は、
    東広島市:33基、三原市:4基、尾道市:7基、その他:3基とされています。
    なぜ、東広島市に集中しているのか明確ではありません。新たな発見に
    努めるとともに、既存の板碑を文化財として大切に護りましょう。

★盃状穴(はいじょうけつ)は、英語名『カップマーク』を日本語訳した言葉です。 
    カップマークは、ヨーロッパなどの先史時代の遺跡で見られる円形の絵模様や小穴群のことで、
    これらは女性を表わし、豊饒や死者再生を、祈願するためのものでした。
    このカップマーク文化は、縄文時代にはフィンランド、シベリア、中国、朝鮮半島を経由して九州
   に上陸したと考えられています。 盃状穴は原始・縄文時代においては女性のシンボルとして豊饒
   や死者再生を願う原始宗教儀式を目的とし、洞窟の壁画などに見られ、弥生~平安時代には同
   じ目的ながら日本式宗教儀式に発展し、盤坐、石棺の蓋建築物の礎石などに見られます。
   盃状穴は鎌倉~江戸前期には女性との関連はうすくなり、個人や集団の種々の祈願、土俗的信
   仰儀式を目的として、東大寺等の有名寺社の石段等に見られます。 江戸中期以降は庶民の社
   寺参拝が急激に増え、個人の祈願、迷信の信仰から、村の社寺境内の石造物(手水鉢、灯籠等)
   に直径は5cm、深さは、3cm程度の盃状穴を穿ちました。今日我々が目にする盃状穴は殆どが
   この時代のものです。明治・大正時代には衰退しました。
  会場には、解説板や、写真、さらに、実物の板碑や、盃状穴のある石造物をお借りして、会場内に 
設置いたします。なかなか実物が展示されることもありませんので、興味のある方には必見です。

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