2011年5月23日月曜日

「雪舟と柿本人麻呂の事跡を訪ねて」春の臨地研修会‐東広島郷土史研究会レポート3

「雪舟と柿本人麻呂の事跡を訪ねて」春の臨地研修会‐レポート3

レポート1:柿本人麻呂編  レポート2:雪舟庭園萬福寺編


萬福寺を出て、さらに医光寺へと向かいます。


医光寺 総門
歩いて、医光寺へ到着すると、凄く時代のある門が建っているやたら高い門だ、聞くと川向の七尾城の大手門だったという。つまり騎乗のまま門をくぐれると言うこと。
 さらにやたら城門にしては、艶っぽい、あの琉球の守礼の門を思い出す。建てられたのち、改装されて今の二段の屋根にしたそうで、「竜宮造り」という「唐門」とも云われる。17世紀後半のことだ。社寺にはよくある形だ。

医光寺総門から中門・本堂を見る


医光寺総門を見上げる、実に肉太な城門で
木材の枯れ具合が実に時代を窺わせる。
医光寺 総門のところで記念写真を撮影した

さて、医光寺へ

医光寺境内の案内図
医光寺の境内の案内があったので紹介、雪舟の庭園は本堂の裏のようだ。

県指定文化財 
医光寺総門 旧益田七尾城大手門
益田市染羽町4-29 0856-22-1668
開館時間 8時30分~17時 休館日 無休
島根県指定文化財
医光寺総門
指定昭和三十四年九月一日
 高麗門形式の門で、屋根は切妻造り、本瓦葺、中央を高くし、両側を一段低くした構造になっています。
 この門は、慶長五年(1600)の関ケ原の戦いの後、益田氏二十代元祥の長門国須佐への移住に伴い廃城となった七尾城の大手門を移築したものと伝えられています。

向こうが七尾城跡
七尾城の大手(城の正面)は、医光寺から向かいの南側に見える七尾城山の中央の谷あいと考えられています。南北朝時代には当時の大手口「北尾木戸」で三隅方との合戦があったことが益田家文書に残っています。
 十七世紀後半に屋根を改めたといわれ、前面の都市計画道路中島染羽線の整備に伴い、平成四年度に本堂から中門の延長線上に若干位置を移動し、解体修理が行われました。
構造、意匠とも簡素ですが、本柱、冠木ともに太く、戦国時代末期の豪壮な城門の姿を残す貴重な建造物です。
平成二十年三月
益田市教育委員会

チェンソー1本で切り出された
雪舟、ネズミがかわいい

医光寺 雪舟庭園
国史蹟及び名勝

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