~幕末「神機隊」の地、志和を訪ねて(広島藩の隠れ城、八条原城他)が開催されました。
平成23年4月29日、天候もよく、気温も程よく、ウォーキング日和でした。
コースとなる西志和の全景、中央に八条原城跡が見える |
朝9時半受付ではありましたが、スタート会場、東広島市立西志和小学校には1時間以上前から入場を待つ参加者がありました。
西志和小学校での開会式 |
参加者は、約600名、東広島市内外からの参加者で、県内の郷土史を研究されているグループからの参加者や留学生グループなど、年齢、国籍など様々でした。
今回メインテーマは、明治維新に活躍した「神機隊(しんきたい)」をテーマに、本陣や幕末に築かれた「八条原城跡(はちじょうばらじょうあと)」という幕末に築かれた隠れ城などを巡るコースです。
西志和小学校を出発し、関川沿いを北東方向へ歩きます。途中右手の山のふもとにこんな牛舎が建っています。地元産の牛乳を生産している。松島牧場さんです。
自社牧場生産の成分無調整牛乳 志和牛乳 (有)松島牧場 東広島市志和町志和西423 082-433-5400 |
高速道路では、奥屋パーキングで販売されています。地元のスーパーなどにも置いてあります。
松島牧場を背に、北を向いて真っ直ぐ歩いていくと、正面に元大山酒造場(おおやましゅぞうじょう)があったところが、志和別荘 大和花(YAMATOHANA)というカフェとレストランがあります。
元の蔵の跡の広々とした敷地に建つレストランです。
大和花は、明治2年『清酒大和花』醸造元、大山酒造場としてこの地に創業。統制のため酒造をやむなく廃業せざるをえなくなり、広島市内に酒販業を開業、元の酒造りの地を、志和別荘YAMATOHANAとして、レストランを開業された。
志和別荘 大和花 |
YAMATOHANA内の庭 |
大和花 復元され、志和の大和花ギャラリーで販売されています |
今回はコース途中であり、中を見せていただき、資料を拝見することができました。
次に、YAMATOHANA前を右方面に歩いて、宍戸家を訪れます。広島藩主世子(※1:せし)浅野長勲(あさのながこと)が、八条原城築城視察で訪れ宿泊しました。全体がほぼその当時のまま受け継がれています。※1:世子:世継ぎ
宍戸家 |
図は、地元研究家 吉本氏によるもので、八条原城下「の右が宍戸家 |
また、八条原城の水車小屋で使用された巨大な石臼も保存されている。他家ともで3個。
門格子(かどごうし) |
いよいよ、第一の関所、志和神社。八条原城が築城中止になり、払い下げられたあと、この地に、「志和神社」が、志和西地区の4社を合祀し明治40年(1907)建立されています。
志和神社 |
説明板 |
説明板と八条原城跡石碑 |
鳥居をくぐって、参道の左に立てられている、石碑と看板です。参道の左側は、文武塾があり、講堂は、西条駅北側にある、浄土真宗南命山教善寺に移されています。現在は庫裡として使われています。当時と違うのは、敷地の関係で治まらず、くの字に改造して建てられたということです。
志和神社手水鉢、八条原城本丸別邸庭にあったという |
この手水鉢は、元は八条原城本丸、藩主別邸の庭にあったものといわれております。
抜け穴 |
拝殿を左に行くと、道につきあたり左に曲がって直ぐのところに、道路際に陥没した処があります。
「八条原城の抜け穴跡」と考えられているものです。これは偶然見つかったものです。
現在は、蓋がされ、カラーコーンで囲まれています。
←左:本丸 8千石米蔵→ |
8千石米蔵跡礎石 |
この先には山水が流れる川もあり、水車のあとも残っています。
本丸の門を再現してみました |
八条原城全図 下右が、文武塾、中心に8千石米蔵、上左が本丸。 |
本丸の藩主別邸平面図 |
・今でも裏側山中の石塁は長く連なり残っている。
・北東側に文武塾を設置した。
・明治4年廃藩置県で廃城となり売却、建物は隣村の小学校校舎、現在志和神社にある文武塾と講堂は西条の教善寺庫裏として移築された。
神機隊士に扮した説明員鉄砲も手作り |
真ん中は八条原城に詳しい尾川建さんです。本丸担当で場内を詳しく説明をしていただきました。
門の右手を山中に向かうと、本丸の北側を周回する道があり、北面からの侵入者を防ぐ石塁が残っています。当時志和全域から集められたといわれています。大きな石は無く、小さな石で作られています。高さ約1m。この石塁を左手に見ながら、本丸の周辺を進むと、八条原城を最後にするところに、第2関所がありました。元 志和の里という温泉施設、現在双葉運輸の施設辺りと裏手一帯が城内。
4月17日 八条原城跡の草刈りの様子をNHKのニュースで放映されました。 |
続いて向かうのは、第3関所、東広島市園芸センター、この日は園芸祭りで東広島市内外から多くの方が農産物や苗などを求めて朝早くから来場されていました。
東広島市園芸センター |
ここで、昼休みをとりました。ここから南方面にある山々がよく見えます。
生城山 |
園芸まつりのステージでは、地元女性ばかりで編成された、生城太鼓です。なかなか力の入った演奏です。
昼食休憩を終わり園芸センターを出発して、やがて右手に見えるのが、西明寺です。
西明寺(さいめいじ) |
さらに、道なりにあるいていくと、右手に貞岡神社が見えてくる。
貞岡神社 創祀年代は不詳。寛政元年(1789)に再建されたと伝えられる。祭神は応神天皇他七柱。
次に向かったのは、第4関所の二宮神社です。
二宮神社へ向かう参加者の列 |
由緒大同2年(807)征夷大将軍坂上田村麻呂が、詔をもって創祀。勅使奉幣も行われていたと伝える
祭神 大国主命 他13祭神 天文12年(1543)毛利隆元を大願主、吉川元春と小早川隆景を願主として、天野元政氏が寄進再興した。二宮の名前の由来は棟札に厳島神社二宮大明神説、又、大宮神社の二宮と称する等諸説あり不明。
拝殿右手には、東広島市の天然記念物のクスノキがあります。
東広島市天然記念物クスノキ |
東広島市天然記念物クスノキ解説板 |
二宮神社境内案内板 |
二宮神社縁結びモミジ |
クスノキ 樹高24m、 胸幹廻り 291cm、根回り 700cm 昭和61年(1986)市天然記念物に指定されている。根元部分が一部地上に露出して四方に太い根を伸ばし、主幹は地上6.5mで2支枝に分かれる。比較的冷涼な地にあってこれほどまでに生育しているのは珍しい。
ケヤキ 樹高 24m、胸高幹周 312cm、根回り 636cm。神社の入口、石段南側の社叢の中にある。両側にスギやヒノキが植えられている。
又、境内の外れには樹高20m、胸高幹囲257㎝のクスノキ。その他に、イヌマキなどを見ることが出来る。紅葉も素晴らしい。(東広島市の巨樹より)
報専坊 |
もとは南方の帝釈山にあって天台宗。聖武天皇を悩ませた妖星伝説がある。明治9年(1876)5月現在地におろされ、明治維新の時神機隊の陣営の一つ。東北出陣の時ここで隊勢を整えている。
大行寺原(奥屋)は、上条の高鉢山の東麓にあり、神機隊の練兵場として使われた。
和田山 練兵場があった |
西蓮寺 神機隊本陣跡 |
神機隊 縁の最後の地で出迎える隊士? |
木原秀三郎(木原適處・てきしょ ) 腰に差している長刀は勝海舟塾で親友となった坂本龍馬より贈られた土佐の名刀です。 適處は明治17年広島に英学校を設立しました、私塾広島女学会と明治20年、適處の広島英学校女子部が合併します。更に私立広島英和女学校と改称し、現在の、広島女学院となります。 |
・明治維新の頃、神機隊の本陣が置かれ、戊辰戦争、奥州遠征で戦死した隊士の墓が15基ある。
神機隊士の墓・神機隊、隊士の墓が15ある。下は19歳~上は27歳まで、殆どが20歳前後の若い隊士だった。・「芸州國回転軍第1起神機隊の墓」の石柱が、無縁となったものを地元有志が集め本陣のあった縁の西蓮寺に集めたもの。中央の大きなもの以外は神道の奥津城(おくつき)である。
八条原城一帯 |
西蓮寺 絵図 |
宍戸家絵図 |
歩く会MAP左 |
歩く会MAP右 |
0 件のコメント:
コメントを投稿