平成21年1月8日(木) 東広島郷土史研究会恒例の新年登山が行われました。 朝9時に集合し9台の車で竹林寺参拝登山口の駐車場まで向かいます。
30分ほど整備された参道を歩 き、竹林寺を目指します。
途中参道は、きれいに整備され、一帯が公園として、散歩道として多くの市民の利用があることがよく感じられます。
すがすがしい、初登山にふさわしいコースです。
運動不足もあり、既に最初の一歩からぜいぜい言っていましたが、一緒に歩いて下さっている郷土史研究会の皆さんの励ましで、なんとか山門までたどり着きました。感謝でいっぱいです。この参道は、山の尾根を伝っていくようになっているのですが、途中多少のアップダウンがあり、上り一辺倒でないことが幸いしてか、多少のくだりで、息を整えることができたように感じました。登るうちに息も最初ほど苦しくなくなり、山門についたころは、いくらか平静さを取り戻した感じでした。
山門の手前に、小野篁生誕之地の碑が建てられていました。
縁起から抜粋した。竹林寺の創建から冥界の篁の事まで書かれています。
ようやく山門に着き、2体の金剛力士像にお目にかかります。おなじみ、右が阿形、左が吽形です。惜しくも平成3年の台風19号でにより山門ごと倒壊し大きな被害を受けた。その後山門と共に修復され現在に至る。山門や仁王像が、新しく感じるのはそのためです。
太鼓橋を渡り、正面には、永正8年(1511)の創建の重要文化財指定の本堂(本尊千手観音)を初め、護摩堂、十王堂、そして篁をまつる篁堂などが、建ちならびます。
本堂左には、護摩堂(東広島市重要文化財)不動明王を本尊としています。
本堂右には、十王堂があり、冥土の十王尊像があり、冥土に戻った篁は100年後僧の姿で、ふるさとの花王寺を訪れ、九体を刻み、一体は自ら生身の像となられたという。
本堂左には、護摩堂(東広島市重要文化財)不動明王を本尊としています。
本堂右には、十王堂があり、冥土の十王尊像があり、冥土に戻った篁は100年後僧の姿で、ふるさとの花王寺を訪れ、九体を刻み、一体は自ら生身の像となられたという。
境内には、名井家12代名井光叶の宝篋印塔、7重層の石塔が立てられています。
他にも境内いたるところに、墓と思われるものがいたるところにある。供養のために造られたのか?
全員が、揃ったところで、ご住職様から竹林寺の縁起にまつわる貴重なお話をお聞きしました。
文化財の解説 デジタル図書館広島大学 縁起絵巻など
この寺にあった三重塔があり、維持管理の問題で、解体された部材を当時の住職が売却、大正14年藤田平八郎によって椿山荘に移築。現在目白台の椿山荘に移築されている。内部は2階以上が大幅に改修され、創建当時をしのぶことは出来ない。
ここに、三重之塔の画像、照会多数有り。
本堂裏手には、今回調査して判明したが、胸周4mを超える、アラカシとツバキが存在することがわかった。またカエデの巨樹なども存在し、改めてご紹介いたします。
7重層石塔と宝篋印塔 名井家名井光叶の墓
7重層石塔と宝篋印塔 名井家名井光叶の墓
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