2012年7月1日日曜日

西条で赤穂浪士の子孫に出会う

ツイッターを初めて、知り合いになった初めての人が、西条で焼き鳥店「くらのすけ」の大将、武林洋さんだ。祖先は武林唯七(隆重)、唯七は通称名という。
東広島市西条町西条東815 串・やき鳥 くらのすけ
TEL:082-422-1165 R486線沿い、賀茂高校向い
営業時間 17:00~翌1:00/定休日:月曜日/P:店舗裏全体

更に驚くことは、古代中国の思想家「孟子」の子孫にもあたるのだ。凄い人が東広島にいたものだ、知ってる人は赤穂浪士の子孫とまでは知っていても孟子の子孫だったところまでは、流石に知らないと思う。店内の由緒書きには書かれていないからだ。
唯七の祖父は、「孟二寛」といって、毛利が士分に取り立てた明軍所属の医師だった。諸説あるが秀吉の朝鮮出兵の時、毛利が連れて帰ったとか長州に流れついたとか。しかしその後士分に取り立てられ、墓は西区国泰寺、南区西福寺にある。父は浅野藩藩医。
祖父は、浙江省杭州武林出身で武林治庵士式と名乗るが、結婚し妻の姓を名乗り渡辺治庵と改名する。しかし武林の名を残す為、武林唯七となのる。
唯七は、一番に吉良の屋敷内に入るも、なかなか見つからず、隠れた吉良を切り捨てるも最初に一番やりは間光興だった、二番手だった。首を確認した後、間光興が首をはねた。 まさに、おしい広島県ならぬ、おしい唯七である。みごと討ち入りを果たし泉岳寺で浅野長矩に報告、一番に間光興が焼香し、二番目が唯七だったという。二つ目のおしいである。
唯七の話は、他のサイトや書籍で調べて戴くとして、実は武林洋さんは山田洋で、唯七の子孫であり、武林の名を残す為、武林に入った。なんか唯七と同様のことをした運命を感じる。
実はこれは結婚後という珍しいケース。山田さんは長男だったのだが弟に山田を継がせ、武林となった。実は奥さんの勧めで武林に入ることを決めたそうだ。奥さんは歴史が好きなのだという。
お会いしてもわかる人柄の良さ。
大将: 武林 洋さん




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