2009年10月25日日曜日

東広島郷土史研究会平成21年度大分県研修旅行

東広島郷土史研究会平成21年度大分県研修旅行
日時 平成21年10月14日(水)~15(木) 2日間
行先 大分県(宇佐神宮、臼杵大仏、臼杵城下町巡り、鉄輪温泉(かんなわ)「山水館」泊、国東半島)
人員 27名 予算27000円
14日 6:30に芸陽バス 6:50に市役所出発
15日 山水館8:30出発 20:00西条帰着
西条ICから山陽自動車道に入り、一路大分県へ 途中宮島パーキングなど休憩をしながら
関門海峡を関門大橋を渡り、九州路に、途中は道の駅「しんよしとみ遺跡前」福岡県築上郡上毛町大字大ノ瀬304−1へ寄った。「史跡 大ノ瀬官衙遺跡」という、奈良時代の豊前国上毛郡衙政庁跡(こうげぐんがせいちょうあと)に隣接し、道の駅自体が住居跡という、大変興味深いところで、まちづくりに活かされた遺跡保存整備がされている。
 旧新吉富村、旧大平村、吉富町、豊前市(一部)の一帯は、古代「上毛郡」といわれていました。(「上毛」は、1896年以前の旧郡名に復した町名、古くは「上毛の庄」と呼ばれたことによる。
「上毛郡」は、古代からの郡名、「和名抄」は、豊前国「加牟豆美介(かむつみけ)」と訓じている。
「かみつけ」とも呼び、後に「こうげ」と呼んだという。)
 「毛」という字は、「食物」を意味していました。勢力拡大を図っていっ

た大和朝廷は、穀物がよく稔る地域の名称に「毛」という字を使い、屯倉(ミヤケ)という直轄領から収穫した米を貯蔵する倉をつくりました。そして、屯倉は後に地方役所となりました。なお、「上」という字は、朝廷への近いことを意味していました。
 したがって、地名に「毛」という字が使われている地域は、自然災害が少なく五穀豊穣、山の幸、平野の幸、海や川の幸が豊かで、人々が住みやすく古くから栄えた誇りある地域の名称として使われています。  他の地方でも群馬県は上毛(古称カミツケノ:上毛野=上野)、栃木県は下毛(古称シモツケノ:下毛野=下野)の国といわれ、現在もJR両毛線(群馬県前橋駅~栃木県小山駅)、私鉄上毛電気鉄道(群馬県桐生市~前橋市)などの名称にその名を残しています。 上の配置図は、道の駅「しんよしとみ遺跡前」の内庭にある側柱跡が芝生の中に、 埋め込まれている。
平成7 年、圃場整備事業に先立つ発掘調査により偶然見つかった遺跡だが、保存状態がよく、その建物の 配置の様子などがわかり、古代の地方官衙の具体的な構造を知ることができる貴重な例となった。現在は盛 り土がされ、芝生が敷かれているが、自由に出入り可能で、建物の配置は砂地であらわされている。

遺跡の前には配置図と解説がある。

国指定史跡 平成10年12月8日指定 
大ノ瀬官衙遺跡

内郭は四面庇付建物を正殿(しょうでん)とし、その東に桁行の長い南北棟建物を脇殿(わきでん)として配するL字型の配置をとる。また、柵列(さくれつ)によりこれらの建物を囲み、正殿正面には
四脚門(しきゃくもん)を有する。そしてさらにもう一重外側に、一辺150mを測る外郭を形成する柵列跡等も見つかっている。遺構の保存状態もよく、律令期の地方官衙の一形態を示す貴重な遺跡である


鳥瞰イメージ図発掘当時の写真はそれぞれから転載

郷土史研究会としては、単なる休憩所やみやげ物屋よりも、休憩しながらも遺跡が見学できるというオマケがあった今回の臨地研修でした。
東広島市の安芸国分寺の遺跡公園や期待される安芸国の国衙(国府)は、どのように活かされるのか
公園にしても、活きた整備方法が期待できるのでしょうか? 

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