東広島市西条町の龍王山の南側のなだらかな斜面に沿って、弥生時代中期後半から古墳時代前半にかけての集落の跡が検出。東広島市内でも有数の拠点的集落であったことが推測される。
平成22年12月23日13:00から、東広島市西条町寺家横田の宅地造成地の発掘現場で行われた。昨夜までの雨も上がり、晴天のもと約220名余りの熱心な考古学ファンが集まった。
銅剣破片やガラス製玉などが見つかった住居跡(SB10)での解説風景 東広島市寺家 横田1号遺跡 H22.12.23 |
東広島市西条町寺家 横田1号遺跡 細型銅剣 破片 |
小玉は、コバルトで着色されたカリガラス製で、濃青色をしている。両方とも舶載品である。
東広島市西条町寺家 横田1号遺跡住居跡から出土の 舶載品・ガラス製小玉・ガラス製管玉 |
これら3点が見つかった10号住居跡(SB10)は集落の中で特別な意味をもっていたであろうと考えられる。
中世の墓穴からは、埋納品としての銅銭が見つかっている。他漆器が検出。竪穴住居跡は30軒、掘立柱建物跡2棟、土坑105以上、溝状遺構12条、性格不明遺構1基、ピット155基以上などが検出されている。(参照:説明会資料)
ガラス製の管玉、小玉、青銅製の剣の破片が発見された柱穴を、説明員が示しています。出土の仕方としてはとても特殊な形です。10号住居跡(SB10)。
食糧などを貯蔵していた、貯蔵穴も見つかった。
この遺跡に隣接して、奈良時代の古代山陽道(巾12m)の推定経路、旧郡八幡神社や当時の特産品安芸木綿(ゆう)に関係するとおもわれる「ゆうりんさん」、賽の神など、延長線上の西条駅北面の御建遺跡では、豊臣秀吉が通った中世山陽道、青谷遺跡からは官庁でしか使用していない円面硯などが見つかり、この地方最大の建物跡が大地面(だいじめん)遺跡で見つかっている(国衙などの作業施設に見られる特徴がある)。注目されている地域でこれからの近隣の発掘に期待される。(東広島郷土史研究会 M文責)
横田1号遺跡案内
0 件のコメント:
コメントを投稿