2011年11月6日日曜日

亥の子祭り

今日、亥の子祭りで地域の小中学生の男の子たちがやってきた。
近所のうちの庭先を亥の子石で突く
東広島市八本松町原の宮東地区の亥の子祭りです。旧原村には、18の集落があって、その集落ごとに亥の子祭りがおこなわれる。

亥の子を歌いながら少年たちが中央の石を上下して土を突くのである。亥の子は地域の神社で神様を降ろして頂いて、突くのだ。とても霊験あらたかだ。
亥の子石で突いた凹みです。色紙を撒きます。
我が家の玄関先にご幣を立ててみた、朝から、お父さんたちが
竹藪から竹を切り出して、ご幣づくりをする。ご苦労様です。

亥の子石を突いた後、ご幣を受取ります。家々でご祝儀を渡します。団地では町会費からまとめて払っていますが、別に渡す家もあります。これで一年無事に暮らせます。

2011年10月30日日曜日

アケビを収穫しました

東広島市河内町で大きなアケビ(木通)を見付けました。
団扇は、ごく一般的なものです。
いかに大きいかが解ると思います。
これまで、自分としてはこんな大きなアケビをみたことがありませんでした。
いつも見かけるのは、フルーツショップでも、この半分くらいのおおきさでした。
そとの皮の色も紫色だったのですが、このアケビはキウイみたいな感じのものでした。

中にヌルヌルしたゼリー状のものと、黒い種が入っていますが、アケビはこのヌルヌルを食べるものと思っていましたが、この皮の部分も中に詰め物をして揚げ物にして食べられるようです。
今度、是非挑戦したいと思います。でも黒い種についているヌルヌルはちょっとしかないのが寂しいですが、蟻が遠くへ種を運んでくれる仕組みだそうです。
葉っぱも御浸しで食べられ、ツルも塩で付け込んで食べられるようですが、ツルは塩辛いだけで味は無いそうです。
ツルには利尿作用があります。ここに山形のあけび栽培のページがあります。たしかに大きさはこの山形の栽培された大きさのものが、自分としては一番大きかったのです。おいしい食べ方が紹介されています。

2011年10月6日木曜日

50ccバイクの可愛いナンバープレート

先日、近所で道後ナンバーの50ccバイクに、
可愛いナンバープレートがついているのを
発見しました。
雲なのでしょうか?
いずれにしてもかわいいですね
東広島市の気がきいたナンバーに
すればいいのに

課税標識のデザインは市町村が条例で定められていて、
2007年以降は、独自のナンバーを導入する市町村が増えていると
いうことなので、調べてみると、サクランボや名探偵コナンの
イラストが印刷されたものなど、各市町村の意気込みが感じられますね。
登録者が増えて税収と、市町村のイメージアップに繋がるのなら
いいとおもいませんか?

2011年10月3日月曜日

第32回郷土史展「東広島の明治維新」、ご来場御礼

平成23年9月27日から10月2日まで、開催されていた、
第32回郷土史展「東広島の明治維新」
~志和に結成された神機隊と広島藩の隠れ城、八条原城~
に連日多くの皆様にご来場いただきありがとうございました。
6日間の入場者数は、約850人で、中には3度来場された方もいらっしゃいました。
入場されて正面には、右から木原秀三郎、中央:坂本龍馬、
左:勝海舟の等身大の写真が出迎えました。
ペリー来航で、これからの日本を案じた、木原秀三郎が学んだ
勝海舟の私塾海軍塾、そこで坂本龍馬と出会います、その龍馬
に贈呈されたのが、木原秀三郎が腰に差している、土佐の名刀
左文字です、土佐の正宗とも称される新々刀の名刀です。
大好評のうちに閉幕いたしました。
フジグラン東広島2F、東広島市民ギャラリー会場には、木原家のご子孫、関係者の皆様、多くご来場いただきました。
木原秀三郎のことについて詳しく解説をしました。今回の
郷土史展で、明治維新において活躍した郷土の方々が
おられたことを初めて知った方に感動された入場者が多く
いらっしゃいました。感動をされたかたも多かったようです。
幅広い年代の方々が、神機隊の功績、木原秀三郎氏の先見性を知ってくださいました。
NHKのニュースや新聞などの報道を見られて、広島市内など遠方からも多くの方がご来場くださいました。
神機隊の戦歴地図と東北戦争での戦歴地と戦死者の墓
東北大震災地と墓のある寺院と原発事故の影響地図の
展示をいたしました、広島と福島・仙台の方々との所縁を
多くの方が知ってくださいました。
神機隊士の持っていた鑑札、御扶持受取鑑とある
今回の郷土史展に来場された方が、持参された札です。
今回の大収穫のひとつです。給料の米を受取るために
必要な、鑑札です。大発見です。ありがとうございました。
こういった発見があるのも、郷土史展を開催する意義の一つでもあります。多くの方々が幕末の日本について関心を抱いて頂いている所以と感じております。
福島県双葉郡大熊町に伝わる民話が集録されています。この中に
下に掲載しているような広島藩の神機隊士のふるまいについて書
かれています。
大熊町の民話集によると、次のような内容が掲載されています。
クリックしていただくと大きな画像になります。
戦争のさなか、火傷をおった我が子と家に残る母親に気遣い、座敷の仏壇を見て同じ浄土真宗の仏壇と分かり、拝んでお金を供えで立ち去る広島藩の隊士の話が伝わっています。
信仰の熱い、安芸門徒の話です。おなじ浄土真宗の農民同士の気持ちが感じられます。
神機隊の規則は厳しく、戦いといえども、略奪や姦淫を許さずということが書かれています。
神機隊は、米蔵など接収するわけですが、地元から救荒米であるので、返還を求められ、農民の
為に立ち上がった神機隊であるのに、戦った相手とはいえ同じ農民を苦しめるわけにはいかぬという理由で、無償で米を返還したという記録も残っています。

明治維新に活躍した方々が地元におられ、大変な働きをされ、また数々の逸話も残っていることに感動された方が多くいらっしゃいました。

おそらく日本各地に、東軍西軍を問わず、隠れた話があるのだとおもいます。
幕末の激動期に、日本の国を守り新しい世の中をつくろうとする郷土の先輩に感謝と敬意を表したいとおもいます。
今回の記録は、すべてデジタルアーカイブとして保存されます。
またいつの日か新しいデータと共に、発表の場が来ることを願ってやみません。

2011年9月28日水曜日

東広島郷土史研究会平成23年9月24日(土)定例会

平成23年9月24日(土)13:30~東広島市中央生涯学習センターに於いて、東広島郷土史研究会の定例会が行われました。(毎月第四土曜日)
最初に恒例の研究発表が行われました。
教善寺絵図
発表者は、副会長の菅野晃行氏
テーマ:「明治後期の西条」~教善寺第14世智順師の日記より~
永年研究された古文書の研究より、西条駅北側にある、教善寺住職の日記を解読することで、明治後期の西条の出来事を読み解きます。いまから約100年前の西条でおこった出来事が生き生きとした日記の記録で蘇ってきます。
西條町市街地の航空写真
100年前の西条は、写真中央が西条農学校、下半分が農業試験場の農地と試験場、上半分には教善寺、御建神社、グラウンド、西条小学校などを見ることができます。
(写真は1.00年前の撮影ではありませんが主要な施設は当時を語ります)
建設中の西条農学校、周囲にはほとんど家はありません
・1910年、広島県立西条農学校が生まれました。西条町1049の1
・2010年、創立100周年を迎えた。
当初は、隣接する広島県立農事試験場の場長が校長を兼務していました。
大正元年8月西條農学校の正門、現在は溝は埋められわずかに
痕跡が東広島市中央生涯学習センターの東側に残されています。
御建神社の火災のことが記載されています。四日市の中の神社を合祀した神社が御建神社ですが御建神社が建てられたのち、火災にあったことが記されていました。
大正元年8月の御建神社正面、参道の松もまだ若木で、手前の
標柱は、当時県下三番目の高さを誇っていました。
正面鳥居奥に見えるのは、随神門です。この門は火災後再建
されませんでした。
菅野副会長は東広島郷土史研究会の専門部会である、西條四日市町並研究会で収集された西條の昔の町並みの写真や、古文書研究会での、古文書解読の成果をフルに発揮された発表であった。

2011年9月14日水曜日

東広島郷土史研究9月定例会と研究発表

東広島郷土史研究会の平成23年9月定例会のご案内
教善寺

日時:平成23年9月24日(土)13:30~16:00
場所:東広島市中央生涯学習センター会議室3(旧中央公民館)
研究発表: テーマ「明治後期の西条」~教善寺第14世智順師の日記より~
発表者 副会長 菅野晃行氏

参加資格:東広島郷土史研究会員、興味を持たれたあなた。
参加費用:無料ですが、研究発表の資料代として実費をいただきます。

第28回東広島の史跡・文化財を見て歩く会 歩行コース決定

第28回東広島の史跡・文化財を見て歩く会歩行コース決定
開催日:平成24年4月29日
受付時間:午前9時半
開会式 午前10時
集合場所:〒739-2114 東広島市高屋町白市589 高屋東小学校校庭
会費:大人500円(保険・資料代の一部として)子供:無料
完歩した方には記念品がある。

平成24年開催の第28回東広島の史跡・文化財を見て歩く会の歩行コース決定しました。
8月20日(土)午後1時半からサンスクエア2階研修室3で、歩行コース検討委員会が開催され8名の委員が出席し(1名欠席)、東広島郷土史研究会会員から提案のあった4コースを検討した。
コース案、1、八本松町吉川コース 2、高屋町東高屋コース 3、高屋町西高屋コース 4、西条町田口・大沢コース
慎重に検討されプレゼンも行われ、コースに物語性が最もあり、かつ集客が見込まれるという理由で東高屋コースに決定された。



テーマを「高屋の地頭平賀氏三城と白市の豪商木原氏の足跡を訪ねて」と決定。
予定される歩行コースは、高屋東小学校を発着点とし、御薗宇城跡、頭崎城跡、白山城跡、旧木原家住宅、光政寺、高屋東小学校の6か所に関所を設ける順路とする。


東広島郷土史研究会会員による試歩を9月12日(月)に行ない、コースの点検を行なわれた。
9月24日(土)13:30から西条栄町の東広島市中央生涯学習センター(旧中央公民館)会議室3で行われる9月例会で了承を得ることした。例会に於いて、菅川孝彦、船越雄治正副委員長を軸に実行委員会を立ち上げ、平成24年4月29日の開催日に向けて準備を開始することとした。

2011年6月10日金曜日

講演会「清酒造りの文化と歴史」-酒は技術か伝統か?- 賀茂輝酒造「カモキホール」へいってきました

西条西本町の賀茂輝酒造で、くらし織り人主催の
講演会「清酒造りの文化と歴史」-酒は技術か伝統か?-
講演 松木津々二氏 11:30~13:30
賀茂輝酒造「カモキホール」へいってきました。

この日は、賀茂輝の酒を試飲しながら
蕎麦をいただくという企画?でした。
講師自ら、酒をのみながら、酒どころ西条の成り立ちを伝統か技術かという両視点で見た研究成果を講義いただきました。

賀茂輝酒造酒蔵、手前は陶芸教室とギャラリー 
右入口は、蕎麦打ち道場となっている

蕎麦と、賀茂輝の吟醸酒をいただきながら
本来、大きいカップで、原酒をロックで、青い特利の
吟醸酒を小さい杯でということだったのですが
大きなカップで吟醸酒をいただいたのでとても
好い心地?か酔い心地かわからなくなってしまい・・
左が円座(わろうだ)  右が菓子の「のぞみ庵」
カモキホールでの講演会のあと、どうも円座でいろいろ食べたようなのだが
賀茂輝の「立身の井戸」
の仕込水を味わえる
食べたものは記録になく、この瓶が写真で残っていた、これは賀茂輝酒造の仕込み水が入っていたようだ。瓶がほしいといった記憶があるのだが、瓶は売り物ではないということだった。
(吟醸酒を飲みすぎて・・・)
のぞみ庵店内

円座を出てすぐ隣の「のぞみ庵」に立ち寄る。和菓子には目がなく、酒をいただきながらでも和菓子ならいけるので・・・・

今月 創作の菓子
茶会用に作られたもの

 初夏にふさわしいものはないかお願いしたら、茶会用に作った予備があるというので、残りを全部戴いて帰りました。幾重にもゼリーを流して造られていて丹精を込められ、控え目で涼しげな菓子でした。

2011年6月4日土曜日

西条酒蔵通り 歴史座談会 「清酒造りの文化と歴史」~酒は技術か伝統か?~

西条酒蔵通り 歴史座談会
「清酒造りの文化と歴史」~酒は技術か伝統か?~


【主 催】 くらし織り人

【開催日】 平成23年6月5日(日)
【時 間】 11時30分~13時30分
      ※昼食に「手打ち蕎麦」付き
【場 所】 東広島市西条西本町11-13
       賀茂輝酒造「カモキホール」
【事前予約】 先着30名
【参加費】  お一人 千円
【連絡先】  082-422-4413(担当:光野)
【アクセス】 JR山陽本線西条駅より 徒歩7分
       ※駐車場もいくらかはございますが、お酒の試飲もございますので、おクルマでのご来場はご遠慮願います。

2011年6月3日金曜日

神機隊「木原秀三郎」

神機隊「木原秀三郎」(しんきたい・きはらひでさぶろう)(木原適處:てきしょ)
木原秀三郎(木原適處)
腰に差している刀は、勝海舟の海軍塾で出会った
坂本龍馬から贈られたもの。左文字という、土佐の
正宗とも称されるほどの名刀。

旧賀茂郡檜山村(現東広島市高屋町)庄屋出身。文久2年(1862)勝海舟の塾に海軍術を学ぶため在塾していたが、請われて広島藩に登用されました。
慶応2年(1866)9月、広島藩の常備軍の状況に危機を感じ、国政の変革と国防を目的として、藩内の士庶の有志隊を意図した建白書を義弟河合三十郎とともに提出しました。翌年9月に許されて志和七条椛坂西蓮寺を本陣とする「芸州回天軍第一起神機隊」が結成された。
廃藩後は家財を投じて地方福祉と民権運動に尽くし。明治17年広島英学校を設立し広島英学校女子部を設立しました。明治20年私塾広島女学会と合併し、私立広島英和女学校と改称し現在の広島女学院となります。
享年76歳で死去。墓は禅昌寺(日光山禅昌寺 〒732-0002 広島県広島市東区戸坂山根3丁目2−7 082-229-0618)にある。(墓は、原爆投下により失われている)

2011年5月27日金曜日

第32回郷土史展「東広島の明治維新」~志和に結成された神機隊と広島藩の隠れ城八条原城~東広島郷土史研究会

第32回郷土史展「東広島の明治維新」
~志和に結成された神機隊と広島藩の隠れ城八条原城~



本陣:西蓮寺を戊辰戦争に出発する神機隊士の図
東広島郷土史研究会作成

主催:東広島郷土史研究会
於:東広島市民ギャラリー
フジグラン東広島店2F MAP
期間:平成23年(2011)9月27日(火)~10月2日(日)
休館日:月曜日は入れ替えのため休館となっています。
時間:10時~ 18時 最終日の日曜は17時まで
入場料:無料
神機隊本陣跡 西蓮寺

西蓮寺にある神機隊士の墓
平成23年4月29日、第27回ひがし広島の史跡・文化財を歩く会で、神機隊ゆかりの地を訪ねたが、約600名の人々が参加くださいました。特に神機隊や八条原城に関心を寄せていただき。当日説明できなかった資料を併せて展示いたします。
当日、もっと詳しいことを聞きたい知りたいという希望が多く寄せられ、急遽追加企画を開催することになりました。   歩く会の様子をご覧ください

第27回ひがし広島の史跡・文化財を歩く会
 幕末、日本の近代化のために活躍した郷土広島県の人々。とりわけ、賀茂郡檜山村(東広島市高屋町)の庄屋出身の藩士:木原秀三郎と義弟の河合三十郎が建議した「芸州回天軍神機隊(しんきたい)」と「八条原城(はちじょうばらじょう」の築城について紹介をする。
神機隊は東広島市志和町西志和の西蓮寺に本陣を置き、その後戊辰戦争出兵し福島県直江地区などで活躍したが、官軍の先鋒隊であったがゆえ激戦と成り300名のうち半数が死傷した。その後、八条原城も東広島市志和町へ築城が進む。江戸幕府は一国一城を定めていたので、あくまで表向きは藩士の学問、修練の場としての文武塾を作ったが、藩主別邸や政治堂、さらに当時志和全体での米の取れ高8千石を納めることができる米蔵までも建てられており、建築当時から志和盆地への交通の要衝には、神機隊士を配し厳重に警戒した。
幕末当時、全国には官軍、幕府軍よりの諸隊とよばれた長州の奇兵隊や幕府側の彰義隊や会津の白虎隊など、正規軍ではない約300隊余りの農民など(神官や女性だけの部隊もあった)の募集であつまった隊が存在していた。広島藩も15隊あった(分隊や合併などある)。
戊辰戦争で戦った第一部隊隊士や遺族には、生涯二人扶持と苗字帯刀の恩典があたえられるのだが、その後の廃藩置県で何もなくなっている。
【神機隊と逸話】
官軍が、相馬藩領小高に入り藩の米倉を押収し各隊に分配した、それが領民のための救荒米だと分かった時、神機隊だけが無償で返還をしている。
また44名の犠牲者を出した広野の戦いの直後の進撃中、火傷を負った幼児を守って只一人家に残っていた農家の嫁を見てこれを励まし、その家の真宗風の仏壇を見て恭しく拝礼し、銭を供えていった兵士もいた(福島県大熊町公民館発行「民話シリーズ」第二号)

八条原城本丸絵図

八条原城跡の石碑

八条原城本丸を解説した
神機隊士に扮した解説員
歩く会の4月29日。八条原城の本丸入り口に門を再現し、神機隊士に扮した東広島郷土史研究会の解説員が本丸に建てられた、藩主別邸や政治堂などの当時の建物を解説しました。
本丸周囲にめぐらされたい石塁

志和地区全体から集められたといわれている。
草原と右の林一帯が八条原城
 東広島郷土史研究会では、幕末の動乱期に活躍された郷土の先輩に対し、感謝の気持ちと哀悼の意を奉げます。この度の東日本大震災、とりわけ福島の原発事故で避難されている浪江地区など浜通りは、まさに神機隊が進んだ地域であります。亡くなられた方々のご冥福と、復興をお祈りいたします。  

2011年5月26日木曜日

第25回ホタルまつり 東広島市志和町志和堀

第25回ホタルまつり 東広島市志和町志和堀 志和堀小学校と半川沿い
主催:志和堀ホタルまつり実行委員会



〒739-0269  広島県東広島市志和町志和堀3054
電話:082-433-2144 

2011年6月4日(土曜日)
第25回ホタルまつりポスターPDF ←式次第が掲載されています。駐車場の案内もあります。
 16:00には、売店は開店してます。お早めに
 
・メイン会場から少し離れた、「半川」の散策道では約400~500メートル渡り、「自然のホタル」が飛び交っています。地元では生活用水を流さない、物を捨てない等の取り組みや、夏の一斉清掃、土手の草刈等を行い環境を守っています。


ホタル舞う半川
 
まつり会場 東広島市立志和堀小学校 MAP
会場MAP 志和堀小学校サイト PDF
ホタル観賞 半川沿い
駐車場 有 志和堀中学校 近く 誘導有

16時30分~21時

車:山陽自動車道志和ICから約15分  MAP



第24回ホタルまつりの様子です。


志和堀 ホタルまつりでの蔵田市長のあいさつ

ホタルまつりの由来 PDF 志和堀小学校サイト

 地域のまつりとして、すっかり定着したこの「志和堀ホタルまつり」ですが、由来は昭和61年、志和堀小学校が「ホタルの里づくり」の指定校を受けた事を契機に、翌昭和62年6月PTAが中心になり、第一回目がスタートしました。

 当初は規模も小さく、PTAによるホタル作品募集や焼肉大会、ホタルの乱舞という簡単な内容でしたが、こども達の為に「あたたかい故郷づくり」を進めたいという地域の熱意で年々盛り上がって来ました。