2011年6月3日金曜日

神機隊「木原秀三郎」

神機隊「木原秀三郎」(しんきたい・きはらひでさぶろう)(木原適處:てきしょ)
木原秀三郎(木原適處)
腰に差している刀は、勝海舟の海軍塾で出会った
坂本龍馬から贈られたもの。左文字という、土佐の
正宗とも称されるほどの名刀。

旧賀茂郡檜山村(現東広島市高屋町)庄屋出身。文久2年(1862)勝海舟の塾に海軍術を学ぶため在塾していたが、請われて広島藩に登用されました。
慶応2年(1866)9月、広島藩の常備軍の状況に危機を感じ、国政の変革と国防を目的として、藩内の士庶の有志隊を意図した建白書を義弟河合三十郎とともに提出しました。翌年9月に許されて志和七条椛坂西蓮寺を本陣とする「芸州回天軍第一起神機隊」が結成された。
廃藩後は家財を投じて地方福祉と民権運動に尽くし。明治17年広島英学校を設立し広島英学校女子部を設立しました。明治20年私塾広島女学会と合併し、私立広島英和女学校と改称し現在の広島女学院となります。
享年76歳で死去。墓は禅昌寺(日光山禅昌寺 〒732-0002 広島県広島市東区戸坂山根3丁目2−7 082-229-0618)にある。(墓は、原爆投下により失われている)

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