東広島郷土史研究会主催の第30回郷土史展 「東広島の板碑と盃状穴」が開催された。
初日の11月1日は、好天にも恵まれ、多くの市民が来場され、日頃何気なく見ていたものが、こういった意味があったのかと驚いた様子でした。中には市外からも興味のある方が多数来場され、東広島郷土史研究会員から熱心に解説を聞かれていた。特に板碑(いたび)は、関東地区が圧倒的に多くそのほとんどを占め、広島県には47基の板碑が現在のところ確認されている。広島県の板碑という研究本をもとに一基一基確認して勉強をする所からはじめ、東広島市内にはその研究本に紹介されている数よりはるかに多く、33基が確認され、そのほとんどが旧東広島市内にあることが確認された。なぜ東広島市に多いのかその理由はわからない。これからの研究を待ちたい。確認されたものの中から、履かをピックアップし、写真を展示している。また実物の板碑と盃状穴のある手洗い石をお借りし展示している。なかなかこういった場所で、展示され間近に触れて見られるのは、例をみないだろう。
この日は東広島市自然研究会の沖村雄二先生もみえられ、素材の石を詳しく観察され、正確な材質を捕捉してくださって、解説文を修正したりといったこともあった。専門家が間近にいていただき、とてもありがたい初日スタートであった。素晴らしい写真を撮影した、船越雄二理事も来場された方々に板碑や盃状穴の状況を説明、この日のために調査後も何度とも現地を訪れ、状況がよくわかる時間を狙い、ベストな写真を撮影するという努力の結果が、今日の展示写真となっている。
実物の板碑は、八本松町正力にあったものを郷土資料館に保管してあったものをお借りした。ライトアップして、その凹凸を浮かび上がらせ観察がしやすいように展示をされていた。
彫られているのは、蓮華の上にある凡字(ぼんじ)で、これを種子(しゅじと読みます)といい、凡字は仏そのものを表します。板碑により、仏そのものを彫ったり、南無阿弥陀仏と彫られていたり、何れも仏の供養のために作られています。
彫られているのは、蓮華の上にある凡字(ぼんじ)で、これを種子(しゅじと読みます)といい、凡字は仏そのものを表します。板碑により、仏そのものを彫ったり、南無阿弥陀仏と彫られていたり、何れも仏の供養のために作られています。
沖村先生の鑑定によると、花崗班岩というものらしい。花崗岩ではない。やはり生成の過程でちがうようだ。
西欧では、カップマークとよばれ、そのまま日本語訳し、盃状穴といわれるようになったようです。その歴史は先史時代にまでさかのぼります。この展示されている手洗い石に彫られた盃状穴はどんな人がどのような思いもこめて彫っていったのでしょうか、なぜかこういった手洗い石の縁に酒盃状の凹みを穿ったのか?
とても多いんです。理由はいったいなんだったのか?
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