第34 回 東広島郷土史展 「高屋の戦国武将平賀氏と白市の豪商木原家」
鎌倉時代~関ヶ原の戦いまでの戦国武将平賀氏、 江戸時代~昭和初期まで栄えた白市の豪商木原家の足跡を辿る
平成24年(2012)9月25日(火) ~30日(日)
午前10時~午後5時(30日最終日午後4時迄、)
場所:東広島市民ギャラリー(フジグラン東広島店 2階)
入場料:無料、
交通アクセス JR西条駅よりバス発着
挨拶
東広島郷土史研究会は昭和49年(1974)に創立し、今年で38年目を迎えました。その間「郷土史展」を33回開催し、郷土の史跡・文化財・伝説他などを市民の皆様に紹介して参りました。このたび「高屋の戦国武将
平賀氏と白市の豪商 木原家」のテーマで、鎌倉時代に出羽国から高屋保の地頭として派遣された高屋の戦国武将平賀氏と白市の豪商木原家の足跡を辿り、第34回郷土史展を開催致します。市民の皆様が
素晴らしい郷土の歴史を知る一助に
なれば幸いです。
平成24年9月東広島郷土史研究会
会長 天野浩一郎
地頭平賀氏 鎌倉時代から関ヶ原の戦いまでの高屋の戦国武将
平賀氏は、高屋保(高屋町南東部)を本拠とした中世の在地領主です。12世紀末、鎌倉幕府から高屋保の地頭に任じられました。最初に御薗宇城を築城。戦国時代に堅固な白山城、次いで更に大規模な頭崎城を築きました。戦国時代(1336~1573)後半、大内氏滅亡後、西国に勢力拡大中の戦国大名毛利氏に属し、傘下の有力国衆(くにしゅう)の地位を確定させました。石高は1万8千石ありましたが、慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い後、毛利氏の山口萩への転封と共にこの地を離れました。
白市の豪商木原家
江戸初期から酒造業など手広く営み、財をなした芸南屈指の豪商木原家は、15代平賀弘保(白山城主)の弟 木原保成(木原城主)を祖とする平賀家の分家で、
関ヶ原の戦い後、武士をやめて帰農。その子孫が江戸初期より酒造業・両替商・塩田業などを 手広く営み、芸南屈指の豪商となりました。それにより 白市及び近郷の寺院、神社などに宝篋印塔ほか多くの石造物などを寄進しています。又、近くにあった芝居小屋長栄座には大口寄付者の木原家専用の出入口が設けてあり、巷では「白山の土はみてても、木原家の銭はみてん」という
分限者を物語る逸話が残っています。
旧木原家住宅は、昭和41年(1966)国重要文化財に指定。鬼瓦に 寛文5年(1665)5月27日のへら書があり、江戸時代初期の建築様式を
色濃く残している日本で6番目に古い大型町家です。
白市の町並み 城下町から市場町に変容 江戸時代の面影が残る町並み白市は、文亀3年(1503)に平賀弘保により白山城が築かれ、城下町が形成されました。
関ヶ原の戦い(1600後、武士団のいなくなった白市は、江戸時代、往来道が集中する交通の要衝であったことから、人・モノが行き交う商人の町・市場町として栄えていきました。
江戸時代、寺家村(東広島市西条寺家)の医者野阪完山が書いた「鶴亭日記」に、完山が
入野の竹林寺に参詣し、帰途、白市に寄り、長栄座で芝居を見て、夜は芸者をあげ
酒を飲んだことを書き綴っています。 町は 宿場機能もあったようで 遊ぶ場所、息抜きの所でもあったことが窺えます。又、三次・久井とともに三大牛馬市と称され、最盛期には1日500頭もの牛馬が取引されたと言われています。 現在、町には
江戸初期建築の 酒造業・塩田業などを営んだ 豪商木原家、明治初期建築の
鋳造業を営んだ伊原惣十郎家、大正4年(1915)建築の大地主伊原八郎家など 江戸・明治・大正の各時代初頭建築の豪壮な町家が建ち並んでいます。
問合せ:東広島郷土史研究会、菅川(すげかわ) 090-4897-9292
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