2008年7月7日月曜日

佐々木久子さんと東広島市


佐々木久子(ささき・ひさこ=随筆家)さん

雑誌酒の編集長として知られ、全国の真面目にコツコツと酒造りをしている蔵を訪ね、地方の酒を掘り起こしていった功績はあまりにも大きい。新潟の越乃寒梅を一躍有名にしたのもその一つだ。

1930年昭和5年生まれ、2008年6月28日その生涯に幕を下ろす。きっとまだまだやることはあるけんと思っておられたに違いない。78歳だった。

広島市内に生まれ、広島女子商から広島大学にすすまれ、東京に出て25歳で雑誌酒の編集長となる。

日本中の新聞が、その訃報を7月2日報じていた。

中国新聞の天風録にそのことが、取上げあげられている。http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te200807030154.html


佐々木久子さんの講演を何度か聴いたことがある。初めてお聴きしたのは、31年前中央公民館で選挙応援演説が最初だ。その時オープンリールテープに録音をした。

八本松町に、八本松中学校が誕生したとき、初代校長の高山一彦先生が、佐々木久子さんに校歌を作詞してくださる方はいないか相談をされた。

佐々木久子さんは、先生そりゃあ石本美由起さんが適任よと紹介をされた。

そこで出来たのが現在の校歌だ。そのとき歌いこまれた三つの言葉がある。

それは、「勇気・責任・郷土愛」なのだ。石本さんが校歌にいれるもっとも大切な言葉をと高山一彦校長先生に尋ねられ、入れられた言葉だ。

勇気・責任だけじゃ、だめなのだ、「勇気・責任・郷土愛」の三つがそろってひとつなのだ。

またこの酒と文化の祭典も佐々木久子さんがいらっしゃらなくては、成立がしなかったといってもいいほどである。



広島の酒は横綱です。

1966年広島出身の作家らに声をかけ「広島カープを優勝させる会」を発足し、物心ともに応援をし1975年カープを初優勝に導く後押しと成す。
カープ初優勝
「「だからさ、ふられ続けた女が初めて得恋しそうになっちゃったみたいなものよ。狂っちゃって、狂っちゃって、もうたまんないのよ」(雑誌「酒」編集長・佐々木久子さん) ワカル、ワカル。佐々木女史は、人も知るカー・キチ、じゃないカープ・キチガイ”重症”組の代表なのだ。サヨナラ勝ちに酔う11日、もちろん女史は広島球場ネット裏にいた。隣には、漫画家というより、いまや「ゴーゴー・カープ」の売れっ子”歌手”と言った方がいい富永一朗さん、作詞家の有馬三恵子さん、朝7時半に東京の家を飛び出して試合途中に着いた紀伊国屋書店社長の田辺茂一さん等「広島を優勝させる会」のメンメン。 「もう、嬉しいなんてナマやさしい感覚じゃないわヨ。体がウウウッて震えるの。私”決定的瞬間”にはきっと悶絶しちゃうわヨ」(佐々木さん) ちっとやそっとの惚れ込みようではないのである。佐々木女史は試合前には広島ベンチに古葉監督を訪ね「広島で優勝して、東京でもう一度”優勝”してよ。お江戸でもなんかやらなきゃおさまらないわヨ」と無理難題。」
今ごろは、天国でカープの初代監督の石本さんと、いっぱいやってるのか?優勝させる会の漫画家富永一朗氏、政治評論家藤原弘達氏、俳優木村功氏、女優杉村春子氏、歌手灰田勝彦氏、・・・・いまごろは、天国も佐々木さんを向かえてにぎやかなんだろうな。

佐々木久子さんのご冥福をお祈りしたい。

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